天からの贈り物
-第91回-
野村祐之
(青山学院大学講師)
新世紀に想う
ついに新世紀の幕開けです!
「21世紀」だなんて子供の頃から、SFの世界か遠い未来の話だとばかり思っていました。だいたい「2・0・0・1」という数字の並び方からして、ちょっと不思議で特別な感じがしたものです。
ところがいま私達はなんとその21世紀にたどりつき、その真っ只中での生活を開始したのです。
何はともあれ、こういうタイミングでこの世に生を受け、生きてこの節目を体験した新世紀の始まりを見届け得たのはご同慶の至り!
とは申してみたものの、実際に年が明けてみれば取り立てて感激、興奮するほどのこともなく、部屋の隅には20世紀中(つまり年末)に片付けそこなったゴミもそのままあったりして、結局は例年とたいして変わり映えのしない新年、いや新世紀の開幕を迎えてしまったのは僕だけでしょうか。
僕自身は「梨の栽培農家は今年、二十世紀梨の生産に支障を来すのだろうか」とか「二十世紀フォックス映画社は伝統ある社名を変更せざるを得ないのか」等と余計な心配をするほどおっせっかいではないつもりですが、それにしても今世紀の行く末を思えば、環境問題、人口問題、食料問題、エネルギー問題、日本の経済や教育の問題、少子化と高齢化の問題、エト・セトラ、エト・セトラ。残念ながらあまり脳天気に正月気分になどひたっておられそうもありません。
この点では、いまの子供たちは本当にかわいそうだと思います。育ち行く未来に、夢と希望に満ちたイメージを描きにくいからです。
僕たちの少年時代といえば「鉄腕アトム」に胸を躍らせ、夜、満天の星を見上げて(そう、都会でも物干し台から見えたのです!)「いつかロケットで月や星に行けるようになるのかなあ」と空想に心震わせ、付録いっぱいの雑誌の正月特集「未来世界の想像図」に見入り「弾丸列車・夢の超特急号」や「腕時計サイズの総天然色テレビジョン」や「電話線なしで世界中と交信でき、ポケットに入れて持ち歩ける電話機」等に想像力をふくらませたものでした。
先日、テレビのインタビューに答えてケータイ片手の中高生達が「大きくなりたくない。これから先のことなんかより、今を楽しく過ごせればそれでいい」と、異口同音に言うのを聞いて、なんだか淋しくなってしまいました。刹那的に生きようとする少年少女に失望したのではなく、若者が未来に夢を描き得ないこの社会の貧しさに茫然としたのです。
そこで僕なりに、未来を夢と希望に満ちたものにする秘策を練りました。
とはいっても、先程列挙したような諸問題を一挙に解決して21世紀を明るく楽しいものにするなんて不可能に近いでしょう。そこで僕の秘策というのはそんな21世紀は跳び越して、22世紀に思いをはせよう、というものです。
22世紀ならまだまっさらですから、夢も希望も描き放題。チマチマと小賢しいこと言いっこなしでとびっきりの理想世界を思い描こうではありませんか!
とはいってみても聡明な大人の皆さんは常識や教養が邪魔をして、「21世紀が始まったばかりだというのに22世紀だなんて」とか「SF作家じゃあるまいしそんな未来のことなんか」と思われ、また「そもそもそんな先のこと考えたって誰もそんな時まで生きてないだろ」とお考えかもしれません。
ところが既に生きているのです、22世紀を生きる未来人が。それも私達のすぐ身近に、もしかしたらあなたのすぐ隣にも…。
今回は、そんな「22世紀人」の探し方を最後にお伝えし、21世紀をどうするかの秘策は、次回のお楽しみといたしましょう。
名古屋のきんさんが107歳で天寿を全うされて早一年。でも、ぎんさんはかくしゃくとされ去年の夏に108歳になられました。
うちの6歳になる娘が、きんさん・ぎんさんのお齢に達するのは、107或いは108-6=で、今から101、2年後、すなわち22世紀初頭ということになります。
つまり、いま7、8歳以下の子供たちは22世紀に到達し「22世紀人」として生活する可能性おおいにあり、というわけです。
(つづく)