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天からの贈り物

-第90回-

野村祐之

(青山学院大学講師)

 

20世紀のおわりに

大腿部骨折の手術後1カ月、肺炎を併発し、微熱が続いている父ですが、朦朧とする意識の中で口にしたのは「さ・び・し・い」というひと言でした。

とくにここ半月は目に見えて衰弱し、予断の許せない状況にあることは理解しているつもりですが、それにしても、痩せこけて力なくベッドに横たわる老人の姿は、僕なりに見てきて今まで50年間の父のイメージをおおきく逸脱しており、心の中で「父と僕」というあたりまえの関係を保っておく手加減すら難しく、緊張して気張ってしまっている自分に気づきます。

父が「さびしい」ともらしたその日、実は父に見せてみようと1枚の写真を持って来ていました。去年の父の誕生日に4歳の孫、祐香が飾りつけたケーキを前に、2人でにっこりしている写真です。

日常生活の楽しい一瞬を思い出してもらうことで、「よし頑張ろう。はやく元気になるぞ!」という気力を出してもらいたいと思ったのです。それに、祐香は最近、おじいちゃんの姿に接するのがちょっと怖くて、お見舞いに来たがらないのです。せめて写真で彼女の姿を、とも思ったわけです。

その写真を目の前にかざすと、それとわかってとても喜びました。意識が朦朧としているようでいて、しっかりと見えているようです。

肺炎のほうは、いろいろ抗生物質を変え、免疫グロブリン等を試みても改善のきざしはみえてきません。痰を確実に除去するため、喉に穴を開け、カテーテルがとりつけられました。喉にプラスチックの蓋がついた父は、もう一歩サイボーグに近付いてしまったように見えました。

その数日後、酸素をしっかり送り込むため、呼吸器装着の可能性についてドクターから説明を受けました。もし自発呼吸が十分回復すれば3、4日で取りはずすことになる、しかし装着中はしゃべれなくなり、心臓には負担になるかもしれない、とのことでした。

どうせ装着するなら早い方がいいということで、翌日は祐香をつれて病院へ急ぎました。両親の緊迫した雰囲気におされてか、不平をもらさず素直についてきてくれました。

病室に入り、ベッドの脇で抱き上げると、「おじいちゃん!」と祐香みずから声をかけました。父の右手が少し動いたので「おじいちゃんと握手してごらん」と促すと、抱きかかえられたまま身を乗り出して握手しました。彼女としては勇気と努力のいることだったはずですが、りっぱにやってくれました。父もそれと気づいて、祐香の手を離しがたいようすでした。

しかし病室の外ではすでにドクターと看護婦さんたちが呼吸器装着の準備を整え、こちらの面会が終わるのを待っています。

父には、お医者さんが処置をしてくれる間、外で待っているからね、頑張ってね、とだけつたえて退室しました。

呼吸器は3日たっても4日目をむかえても外されませんでした。その後、父が意識を回復することもついにありませんでした。

装着から1週間目、僕たち3人が見守る中、心停止が確認され、呼吸器がはずされました。

それに続き、退院、帰宅、家の片付け、葬儀、納骨となすべきこと、決めるべきことが多くあり、それらを一通りなしおえたとき、父亡き後にぽっかりと空いた心の空白にやっと気づかされました。

それはまるで緊迫の内に急流を下り終え、大海原に押し出されてみれば、あとは波にたゆとうほかはなく、この先どちらに向けて航海を続ければいいのかさえ分からなくなってしまったような気分です。

家族をひとり失うことは、自分の人生が問い直され、その方向感覚さえ失いかねないことなのだと、あらためて気づかされました。

88歳目前だった父は、日本人の平均寿命をとっくに越え、いつその時を迎えても天寿というものだったのでしょうが、子どもの欲としては、寝たきりでも、口がきけなくてもいいから家に戻ってきてもらって、もうしばらく共に過ごす日々が与えられていたらと思うばかりです。

明治生まれの父の全生涯を抱いて20世紀がいま、去ろうとしています。

(つづく)

 

 

 

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