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アメリカ・カナダツアー報告4]

ワシントン大学にて

 

ファーバー博士は、終末医療、緩和ケアを家庭医としてどうとらえるかという分野においてのエキスパートです。

彼は、1980年ワシントン州にホスピスが設立された時、家庭医として開業しておられましたが、ガンなどで1年以内に亡くなられるであろう患者さんに「家庭医として何ができるか」ということを考え、ホスピス設立の機会に大学に戻り、現在は総合医療の臨床助教授として教職に携わっておられるとのことでした。一旦、開業医として現場に出た人が、大学に戻るなどということは、日本ではほとんど不可能だと思いますが、医療の現場を踏まえた人が、教育の一線に立ち返って学んだり、また教鞭を執るといったことは、大変意義のあることではないでしょうか。

アメリカでは第二次大戦後、専門医が急増し、病人をこま切れにしか診られない医者が増えました。その反動として、病気をもっと総合的に、病人を全人的に診ていこうとする方向が示され、総合医療の重要性が叫ばれて、現在では家庭医としてこの分野での専門性が認定されるようになりました。

 

病む人に添う医療者の関わり

さて、博士によると、現在この地域では、ガンで亡くなる人の2割は家庭で、7割が老人ホーム等の施設、1割がホスピスで終末期を迎えているということです。(終末期:最近のリサーチでは予後6ヵ月とされていますが、約3割の人がそれ以上生存されています)

死を前にして、不安と苦悩の交錯するこの時期は、人間としての根源的な問いに、自分の答えを出していく時でもあるでしょう。このような時と場に立たされた人を、医療に関わる私たちはどう支え、どんな姿勢で対応し得るでしょうか。ファーバー博士に尋ねてみました。

彼は「わたしには、あなたの生命の予後を長くすることはできませんが、残された生命にどのような意味を持たせたいかというあなたの意思に添って、それを扶けたい」というアプローチをされ、そしてそのためのプログラムをつくっていくとのことでした。もちろんガン治療に際して疼痛の緩和は最も大切なことですが、患者さんの3割は痛みを訴えるといいます。

医師によっては治療方法をいくつか提示して、患者にこれを選択させるという方法をとっている人もいるそうです。しかし、ファーバー博士の方向は「残された生命にどのような意味を持たせたいか」という病む人の言葉を聴き、その意思を最も大切なこととしているという意味で、視点の違いがあるように思います。

ホスピスに入院する対象は、必ずしもガンやエイズに限らず予後6ヵ月以内と診断される場合、腎不全、呼吸不全の人々も考慮されます。

米国では、独立型ホスピスは医療費の負担が大変なので、医師、看護婦、ソーシャルワーカ等が連携して、家庭治療をすすめる傾向にあります。

ちなみに治療費用については、65歳以上は国からの補助や保険で賄われ、個人負担はありません。老人以外の人は病院入院の場合、1日400ドル(6ヵ月以内の入院期間であれば、費用合計の2割が補助される)、家庭治療の場合には1日100ドル位です。

今後の問題として、病む人に対して、ことに精神的、霊的な面にまで深い関わりをもつ場面に立たされる医療者として、その教育をどう進めていくか、医療チームの協力体制作り等が重要な課題となることを指摘されました。

医学教育もいわゆる縦割りのカリキュラムではなく、医療担当者が共通に学んでいく場の設定が大切なこと、また医師の卒後教育、例えば現在、国全体でホスピスが認められてきているにもかかわらず、「ホスピスは死に場所」といった受け止め方をされていたり、家庭医の認識が欠如していて、入院するタイミングが遅れたため、ホスピスに入院後1日で亡くなる人もあるといいます。

日本では、同じ死ぬのならポックリ死にたいという願望の善男善女が多いので、ポックリ寺なる不思議な存在が繁栄するようですが、避けたいと願っても避けることの出来なかった病の苦難に対して、どうこれに向き合うのでしょうか?

 

 

 

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