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天からの贈り物

-第89回-

野村祐之

(青山学院大学講師)

 

現代医療の「さ・び・し・さ」

父の骨折、入院・手術という状況に接し、高度な現代医療の現場での「コミュニケーション」ということを本気で考えさせられました。コミュニケーションといっても挨拶を欠かさないとか、気さくに声をかけ合おうといった気配り、エチケットのことではなく、この言葉が本来秘めているはずの癒しの力、命を支え、コミュニティを生み出す力を医療の現場でどう引き出していくか、といった問題です。

父の場合を見ていても、ほとんど身体状況だけがクローズアップされ、それが高度の技術で見事に画像化、数値化され、その数値や画像の状態を改善させることにすべての努力が注ぎこまれ、父という存在のその他の要素は、この中心命題にかかわってこない限り注目されることはありませんでした。

確かに父の身体機能は深刻さを増していました。手術当初からの微熱が引かず、肺の機能が弱ってきているようです。レントゲンを見せてもらうと素人目にも左肺全面がモヤがかかったように白くなっています。

間質性肺炎で肺胞と毛細血管の間で炎症が起きているためガス交換がうまくいかず、血液中の酸素が不足し、炭酸ガスが取り除けない状態だそうです。酸素は補給できても、炭酸ガスの除去は肺が自分でやってくれない限り他に手立てがないとのこと。

こうした説明は納得のいくもので、インフォームドコンセントの点でも治療の点でも申し分はなかったとは思います。

父のケースは高齢者に典型的なもので、「あとはご本人の体力と気力が頼みの綱となる」とのことでした。とはいうものの、体力のほうは今さら強化するわけにはいきません。せめて気力を十分に引き出す方策はないものか、と切に思うのですが、お医者さんとしては、これはあくまでも言葉のアヤで、実際上は「医療的にはもうこれ以上手のつくしようがない」ということのようでした。

たしかに父はしばしば意識が混濁し、痴呆と思われる言動もありました。「白いものが空中を飛びかっているがあれは何だ」とか、ベッドの後ろの壁を指さして、「そこが便所の入口なもんで四六時中人が出入りしてうるさい。今も若い男が入ったきり出てこない。あいつはいつも俺が寝入るのを待って出てきて、起こされるんでかなわない」といった調子です。

これらは僕にも移植手術後覚えのあることで、薬や治療法、昼夜の区別なく外界から遮蔽された空間、といったことからくるストレスもあるのではないでしょうか。

ベッドにしばりつけられた状態とはいえ、ちょっとでも外を見せてあげたい、家族だけとのんびりした時を過ごさせてあげたい、もう少し父とのコミュニケーションをゆっくり楽しめる環境が与えられたら、と願わずにはいられませんでした。

ある時、義弟の川手氏と共に見舞ったとき、父は別の面を見せました。僕が全身をくまなくマッサージしていると、手を空中に高くかざし、掻くような動作をしては、その手を自分で指さします。何かを伝えようとしているらしいのですが解りかねていると、しきりに手を指さします。「手?」と問いかけるとうなずいて、その手を下の方へ流すようなしぐさをするので「川?」というと大きくうなずき、すかさず再び手を指さします。「手?川?川・手、川手さん?」という僕の声に満足気にゆっくりとうなずきました。

「川手さん、なに?」と問いかけると手を額にあて、「わざわざ悪いね」といいたそうなので、「気にしなくていいんだよ。喜んで来てくれているんだから」というと安心したように目をつぶりました。

しばらくすると僕に向かって「元気?」といいます。「うん、元気だよ」と、ほほ笑みかけると、違う違うの動作。「ああ、川手さん? 元気だよ」というと、これまた違う違う。ふと思いついて手もとにあったサインペンとメモ用紙を手渡すと、たどたどしく「ベンキ」と書きました。おむつはしているものの、排泄のことを気にしているのです。本人としては便器でしたい、ということのようでした。

何かいいたそうな父の口元に耳を近づけると、はれあがった舌を少し動かしながらやっとの思いでもらしたのは「さ・び・し・い」というひと言でした。

(つづく)

 

 

 

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