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教育医療

Health and Death Education Oct. 2000 vol.26 No.10

 

死別経験者への理解と援助

 

死別という経験は、思いがけずその経験をした人とその人の生活を変えてしまいます。体調の変化、生活習慣の変化、価値観の変化など、変化の程度や内容はかなりの個人差がありますが、ひとによっては専門的な援助が必要です。

ピースハウスで身内を亡くされた方々からも、眠れない、食事がのどを通らない、ボーッとしていて1日が終わってしまった、いろいろなことへの関心がなくなった、という訴えを聞くことが多々あります。煙草の本数が増えたり、酒量が多くなったという人もいます。

このような変化は身内との死別後に起こることが多く、たいていの場合は時間が経つにつれて少しずつ影をひそめていきます。しかし中には、その影が自分を圧倒するぐらいに大きくなって、日常生活がうまく送れないという人もいます。専門的な援助が必要なのはこのような人たちです。

影に圧倒されている人の多くは、弱い、だらしない、情けない、甘えている、と自分に対して思ってしまいます。自分に「しっかりしろ」と言い聞かせますが、どうにもならないのです。また、その人の態度や生活を見かねて「甘えるな」「しっかりしろ」と言ってしまう人もいますが、結局は、本人の落ち込みや自虐的な気持ちを助長するだけになってしまいます。では、このような影に圧倒されている人を、どのように支えることができるでしょうか。

仏教の説話に、赤ちゃんを亡くしたキサという未亡人の話があります。この未亡人キサは、息を引き取った赤ちゃんを抱いて医師のもとへ行きますが、「残念ですが、この子はもう息をひきとっています」と言われてしまいます。別の医師を訪ねてみますが同じことを言われます。最後に「釈迦のところにいってみたらどうか」と勧められ、キサは赤ちゃんを抱えて釈迦を訪ねます。

釈迦は「私がその子を生き返らせてあげるから、芥子の粒を用意しなさい。ただし、一人も死者を出していない家の芥子の粒が必要です」と言います。そこでキサは村の家々をまわります。しかし芥子の粒はどの家にあっても、死者を出したことがない家はなく、どの家でも家族の死への悲しみを抱えていることを知ります。

一度死んでしまった人が生き返ることは奇跡でも起きない限りありえませんが、子供に生き返って欲しいというキサの尋常とはいえませんが当然の願いを、釈迦が正面から受け止めたことに大きな意味があります。

「この子はもう息をひきとっています」「あなただけが家族を亡くしたのではないのです」という事実や真実を伝えることは、キサの役にはたちません。影に圧倒されて困っている人と接する私たちは、釈迦の態度からこそ学ぶことが多いと思います。

死別を経験した人が、弱い、だらしない、情けない、甘えている、と自分に対して思っている時は、その人の気持ちをそのまま受け止める必要があります。これは「あなたは弱い人です」と決めつけることではなく、「あなたは自分のことを弱いと“思っている”んですね」というように、その人にとっての事実を大切にすることに他なりません。

死別経験者への援助は、遺族へのケア、あるいはビリーブメントケア(breavement care)と一般に呼ばれ、ホスピスにおける重要なケアのひとつです。今後も更に死別経験者への援助についての理解を深め、その人の事情に即した援助をしていきたいと思っています。

ピースハウスソーシャルワーカー 高野和也

 

 

 

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