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天からの贈り物

―第84回―

野村祐之

 

メアリさんからの電話

30年以上の看護経験をもち、77年以来ホスピスで働くアメリカの友人、メアリ・カーニーさんから久しぶりに電話がありました。

彼女はここ2年ほど、ホスピスの訪問看護プログラムを担当し、毎日在宅の患者さんを見舞っているとのこと。

アメリカでは、看護婦さんでも「ナース・プラクティショナー」という資格を得ると、医師のように基礎的な医療行為を行うことができます。医師不足や無医村の問題、訪問看護システムを円滑にするための必要性などがあってのことかもしれませんが、これは患者にとってもありがたく頼もしい話です。心優しく、何かと配慮の行き届く熟練の看護婦さんが家庭医の役割も果たしてくれるわけで、いわば一挙両得のサービスを受けることができます。

メアリさんもこの新しいシステムをとても楽しみにしていて、病棟で何人もの患者さんを、管理するように担当するより、一軒一軒患者さんの家庭を訪問し、それぞれにユニークな人生の味わいと重みを感じながら心の通った出会いを重ね、一人ひとりの細かいニーズに応じて、家族の人たちと一緒にケアの工夫をこらすのを心から楽しんでいるようでした。

この方法だと家族も看護に創造的に参与する機会ができ、それを通して運命を積極的に受容する姿勢がととのい、自然に癒しのプロセスがはじまり、愛する人を失った後も悲嘆の度合いが軽く、心落ち着いて優しく思い出に浸ることができる。そして看護専門職としても、患者さんの死ですべての関係が切れてしまうのではなく、悲嘆のときを家族とわかちあう心のしあわせすら感じることができる、と話してくれました。

 

アメリカ東海岸に住むメアリさんが電話してくるのはせいぜい年に二、三度のことですが、じつはそのたびにドキッとさせられるのです。

超能力や因縁話のたぐいは信じないほうなのですが、彼女が「なんだかあなたのことが心配で」とたまに電話してくるときに限って、僕が呼吸困難で病院にかつぎ込まれたときだったり、帯状庖疹で倒れた直後だったり、肝機能が異常をきたし緊急入院する前夜だったり。彼女の「なんだか心配」はどうしたわけかいつも図星なのです。

そのカーニーさんからの久しぶりの電話です。でも幸い僕にはなんの悪いところもありません。

「残念ながら今回ははずれだね」と冗談めかして告げると、彼女もほっとしたように笑っていいました。

「家族のみなさん、お元気?お父様はいくつになられたんでしたっけ。」

「いま、87歳。もうすぐ88に」といいかけて、はっとしました。

年末にかけて大腿骨を折って入院した父は、「数週間の入院」のはずだったのですが、手術後めっきり弱り、食欲もなく、肺機能もすぐれず、「楽観できないかもしれない」と医師に告げられたところだったのです。

メアリさんに父の病状を率直に告げました。彼女は、「ひとり暮らしの患者さんを訪ねるとき一番心配なのが家の中でつまずいて倒れ、骨折でもしていないだろうかということだ」といいます。

とくに脚部の故障はどんなささいなことでもからだの動きが不自由になり、精神的ショックも大きく、生活していく自信と意欲を失ってふさぎこみ、それをきっかけに肉体的にも急に弱り痴呆がはじまるという、後戻りの難しい下り坂をたどることになりかねないからだそうです。

そして、彼女はこういいました。

「いったん骨折してしまったものはしょうがないけれど、高齢のばあい、とくに努力しなければならないことが三つあるわ。

肺炎を起こさないように呼吸を深くしっかり保つこと。

それからできるだけいつも体を起こすなりマッサージするなりして、元気な部分を動かし、筋肉を落とさないようにすること。

そしてなによりも心が安らぎ落ち着くように最大限の努力をすること。とくにお年寄りにとっては、病院にいること自体がストレスなのよ。だからできるだけ早く住み慣れた環境にもどって療養することがいいのだけれど、入院中は少しでも不安を取り除き、気持ちが和らぐようにしてさしあげること、これは命にかかわるほど大事なことなのよ。」

うーん、確かに。僕は、父の入院状況と重ね合わせて、思わずうなってしまいました。ひとつひとつ納得のいくことばかり。そしてじつは僕自身、薄々気がついていながら“病院にお世話になっている身”としてはなかなかいいだせなかったことばかりでした。

「もっと早くメアリさんに相談していれば」と自責の念がよぎります。

(つづく)

 

 

 

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