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地域医療と福祉のトピックス その33

看護学校の現場から−看護学校での音楽療法−

埼玉県立寄居養護学校 土野研治(認定音楽療法士)

 

肢体不自由児とともに始めた音楽療法

「この子どもたちに音楽を教えることができるだろうか」と思ったのは、昭和53年の春のことでした。それから22年間も障害児教育に携わろうとは思いもしませんでした。音楽大学で声楽を学び、中学校の音楽教師になることを考えていたので、車椅子を押したことも障害児と接したこともありませんでした。それでも、音楽に合わせて体を動かしたり、絞り出すように歌う姿を見て、「音楽の本質はここにあり」と思いました。何もわからないままただがむしゃらに、移動、食事、排泄、衣服の着脱など、日常生活全般の介助と授業を行いながら1学期が終わるころ、ある保護者から、「先生も大分慣れましたね。はじめはどうなるかと思ったけど」と言われたことも懐かしい思い出です。今思えば、何の先入観も持たず、ただまっすぐに子どもと向かい合っていたことがよかったのかもしれません。

初めの11年間を肢体不自由児の通う越谷養護学校に勤められたことはとても幸運でした。個別的に子どもを見られたことや、子どもの身体運動についても多くの事柄を学びました。当時は音楽といっても、私の歌やピアノ演奏を聴かせたり、簡単な打楽器を演奏することが主な内容でした。脳性マヒや進行性筋ジストロフィーの子どもには、通常よりも2〜3度低く伴奏を付けた方がよいことも授業を通して気づきました。また小学部から高等部まですべての学部で卒業学年を持たせていただけたことは貴重な体験でした。卒業といっても小学部と高等部では担任はもちろんのこと、保護者や学部の教員、何より子ども自身の意識が大きく異なります。卒業式では涙と共に「これもしておけばよかったなあ。」と思うことばかりでした。それぞれの学部でここまでは指導しておこうと、自分なりに目標を考えることができるようになりました。

学校に慣れたころ、子どもの身体の動きに着目し、音楽と運動を連携できないものかと考えてリトミックを実践しました。身体の動きに合わせて音楽を付けて動作を意識化させたり、音の高低に合わせて手や足を上下に動かすことから始まり、寝返りや四つん這い、膝立ち移動などに発展させました。このように音楽を自分の身体運動で表現させながら、最終的には物事を自分で判断し行動につなげていくというダルクローズの理念には、大いに共感することができました。最近当時の卒業生からよく便りが届きます。グループホームを作る計画の相談や施設に入所しながら自分の詩集を作り送ってくれます。今もし卒業生のいる作業所や施設で音楽の係わりをもてたら、どのようになるだろうかと思います。自分の蒔いた音楽の種がどんな花を咲かせているのか興味があります。

 

身体運動にも着目して―知的障害児との係わりの中で―

2校目は知的障害児の通う越谷西養護学校に10年間勤務しました。9年間は担任外で組織され個別指導を行う全国でも珍しい養護・訓練部(今年度から自立活動と名称が変わりました)に属し、個別や小グループ、大集団と様々な形態で音楽療法を実践できました。対象は小学部から高等部までの情緒に問題のある子どもや対人関係が苦手な子供が中心でした。自立活動は文部省の学習指導要領に示されている特殊教育諸学校の特徴ともいえる領域で、「心身の調和的発達の基盤を培う」という目標で個別に行われます。越谷西養護学校では週2回行われる養護・訓練のうち1回(40分)は音楽療法、あと1回を視覚教材を用いた学習、身体動作への係わりに当てました。また遊具や玩具を用いた遊戯療法的な係わりも行いました。音楽療法では、操作性の異なる数種類の楽器を用意し、既製曲や即興演奏を駆使しながらセッションを進めました。楽器は打楽器が中心でしたが、ピアノやクラリーナなどのメロディーやハーモニーを演奏できる楽器を用い、さらに身体運動も加えていきました。

 

 

 

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