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体験記

インシュリン自己注射をはじめて

浅田正博

 

私は昨年7月からインシュリンの自己注射をはじめた糖尿病患者です。

自己注射をはじめるにあたり、主治医の小山先生から、東京慈恵会医科大学付属病院の内分泌科への教育入院をすすめられ、昨年6月29日から1週間の教育入院を経験しました。

教育入院をするからには、インシュリン注射をはじめることは避けられないと考えておりましたので、本来2週間が適切とされる教育入院を、半分の1週間に短縮するというわがままを認めていただきました。入院中はさまざまな生化学検査、講習、訓練などの連続で、その間結構充実した時間を過ごせたと思います。あまりよいことではないのかもしれませんが、仕事に就いている方は、なかなか2週間の時間を割くことは難しく思います。インシュリンの自己注射を前提とするならば、1週間の教育入院は有効だと愚考しています。

 

私の病歴を省みて

先ほど私はインシュリン注射が避けられないと考えていたと申し上げましたが、私と糖尿病との関わりは悪しき典型、あるいは糖尿病へ陥る1つの典型として、私の病歴をご紹介いたしましょう。

1986年2月、家族ともどもロスアンゼルス駐在から帰国し、その当時勤めていた会社の東京支店へ勤務しました。その年の健康診断で成人病半日ドックコースを受けたのが、LPCとのおつきあいの始まりでした。当時は163cmの身長にもかかわらず、おそらく限りなく70kgに近い肥満状態でした。まさしく鯨のように飲み、馬のように食する機会も多く、多少の運動では消費しつくせない高カロリー、高脂質、高タンパク、多量アルコール摂取だったのです。当然のことながら検査結果は要注意、要監視の再検査ということでした。またバブル経済まっただ中で、仕事の忙しさ、充実感で自らの危険な兆候を省みることのない日々だったと思います。貿易関連の仕事でしたから、いろいろなところへ行く機会、飲食の機会も多く「美食家はまず健啖家でなければならない」などといっていました。

当初1年に一度の検診から、半年、3ヵ月、そして月に一度と診察頻度が増えていきました。わずか1年あまりの期間でしたが、再びミュンヘンへ単身赴任し、帰国したのが1992年11月で、高血糖に加えて十二指腸潰瘍まで患ってしまいました。その後血糖値コントロールを厳しく実行しなければならない時期に、生来のだらしなさでいいかげんにしており、残念ながら経口薬の投与、その増量へと進んでいきました。体重は少しずつ減っていました。

結局、オイグルコン錠の2.5mgを4錠(服用可能な最大限)、朝夕食後に経口することになりました。その時期が2年から3年以上は続いたと思いますが、昨年はじめ頃から「もういけないのでは」と思うようになりました。特に自覚症状があったわけではありませんが、階段を一段ずつ降りるように、合併症を発症する段階に近づいているような予感がしました。空腹時血糖値が200mg/dlを越え、時には250mg/dlになったり、グリコヘモグロビン値(HbAlc)も9〜10%前後の状態が続いていました。あきらかに、血糖値コントロールがうまくいっていませんでした。

 

インシュリン自己注射をはじめて

教育入院前は、ある意味であきらめており、この入院はインシュリンの自己注射を修得するためのものと考えていました。注射回数も健常者のリズムに擬するように1日4回行うことにしました。

退院して6ヵ月が過ぎました。効果は顕著なものです。もちろん現役で職についていますから、ストレス度、運動や食事の多寡、強弱、高低はいろいろで、理想的ではない時もありますが、血糖値を下げること、グリコヘモグロビン値を正常に戻すことの効果はあります。

 

 

 

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