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全国婦人防火連合会研修会講演要旨

『チェーン・オブ・サバイバル』

前(財)救急振興財団副理事長 篠田伸夫

 

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私は、昭和42年に自治省に入り30年が経ったわけですが、その中で5年間が消防の仕事でございました。自治省と県を行ったり来たりした後、消防大学校の教務部長というのをやりましたのが私と消防の縁の始まりでございました。震災対策指導室長、救急救助室長を歴任後、再び県の方をぐるぐると回りまして、最後は消防庁次長というわけでトータルすると5年間を消防で過させていただきました。ただ、残念ながらこれまで一度も婦人防火クラブの皆様の前で話すチャンスがなく、今回このような機会をいただき、いささか緊張しておりますがよろしくお付き合いをお願いしたいと思います。

先日、今年版の消防白書を見ておりまして、婦人防火クラブというのは全国で1万5千団体近くあり、クラブ員数は246万人もいるということを恥ずかしながら初めて知りました。

246万人の組織といえばものすごいパワーを持っているといえると思います。かつては消防団も200万人という時代もありましたが、今では98万人ぐらいでしょうか。100万を切っている状況の中で、地域の一番重要なところで246万人の方が防火防災のために働いていただいているということで、大変ありがたいことだと思っております。

本日は、防火防災という面に加え、是非とも救急の面でもお力をいただきたいということでお話をさせていただきます。

消防というと何を思い浮かべますかという問いに対しまして、以前でしたら一般の方々の頭には赤い消防車が浮かんだと思いますが、今ではどちらかというと白い救急車を思い浮かべる方が多いのではないかと思います。

ウーウーからピーポーピーポーに変わったということでしょうか。

消防白書から消防車と救急車の出場件数の違いを見てみますと、全国の出火件数は昭和48年の73,072件がピークだったようで、年ごとの違いはあっても傾向としてはそれを境に右下がりに下がっております。

一番新しい平成10年のデータでは54,514件ということです。昭和48年の件数を365日で割って1日あたりとしますと、全国で約200件でしたが、平成10年では1日あたり約150件にまで下がっております。それ程出火件数は少なくなっています。

一方、白い救急車の出動件数はどうかといいますと、昭和38年に法律で救急業務は市町村の消防で行うということになったので、昭和38年をスタート時点といたしますと、当時年間24万件でありました。1日あたり約650件強となります。これ以降、救急は急カーブの右上がりで増加しております。平成10年では、なんと370万件、1日あたり約1万件強であります。昭和38年に650件であったのが1万件というように、一直線に救急が増えたわけです。

 

 

 

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