副業としての海賊行為は、さっき言いました一つの例として、ベトナムのボートピープルを襲ったシャム湾の海賊たちとか、いまご覧いただいたスールー諸島の零細な人々を襲う、これまた零細な海賊たちがいるわけです。その海賊たちは職業として、魚の仲買人であるとか、いろいろな商売をしていたり、アガルアガルという海草を養殖したりということもやっています。
用心棒と海賊というのは常に二面性があり、力を持った者がいればその場所は安全だということで、身内のものが海賊をしていても、あえてお上に訴え出るとか、つかまえてもらうとか、そういったことではありません。そうではなく、あるときは自分たちの味方もしてくれるという二面性を持っています。
最大の獲物は人間である。これはたしかにずっとそのとおりで、皆奴隷として人間を捕まえていたわけです。日本人の例も挙げましたが、江戸時代の孫太郎というのが奴隷として7年間もボルネオで過ごしています。10数年前には日本人のカメラマンも誘拐されています。これもずっと続いていると言えば続いています。
あとアンティンアンティンとかアモック、ホラメンタードというのは、われわれ外部の人間が「あれはそうである」と決めるつけるわけには、なかなかいきません。たとえばよく知られているアモックというのがあります。窮鼠猫を噛むではありませんが、追い詰められ、追い詰められて、ある日突然爆発し、人を殺せるだけ殺して自分も死ぬ。そういう追い込まれた状況をアモックと言います。
アモックというのは英語にもなっていて、狂気や錯乱といった状態になることに使われています。フィリピンの新聞などに「アモックが起こった」というようなことはいまでも出ています。アメリカ人は戦争のころ、日本の神風に対して「あいつらアモックだ。気が狂ってやっているだけだ」と言っています。こういった感情の表現は、外部の人間が決めつけるわけにはいかないと思います。
次に海賊行為の変遷です。これは無理やりといいますか、ざっと考えてみたのですが、歴史的には非常に正しい、正業としての海賊があった。それは見方を変えれば、ヨーロッパの侵略に対する一つの抵抗であった。侵略者への抵抗のかたちであったとも言えます。ただ、これは全く荒唐無稽なことではなく、ブギスという交易の民がいましたが、オランダ人が来て、そこの本拠地を襲って、ブギスがバラバラになっていくのですが、そのときにも海賊事件の数が増えている。このように、一つ抑圧されるとほかのところが出てくるという状況だと思います。