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朱印船(しゅいんせん)
朱印船とは幕府から異国渡海朱印状(いこくとかいしゅいんじょう)(朱印を押した海外渡航許可証)を交付されて東南アジアに渡航した貿易船のことです。朱印船の制度は徳川家康によって始められ、朱印状の交付を受けるには幕府の有力者の取次ぎが必要でした。
朱印船に用いられたのはミスツィス造りとか日本前(にほんまえ)と呼ばれたジャンク(中国船)で、中国やシャム(現在のタイ)などから購入されたほか、国内でも建造されました。遣明船のように国内海運の大型商船を朱印船に転用した例は見当りません。
具体的な朱印船の姿は、寛永11年(1634)に長崎と京都の清水寺に奉納された絵馬からうかがうことができます。なかでも、長崎の末次(すえつぐ)船の絵馬は朱印船の姿をリアルに描いていて、最末期の朱印船が中国船をベースにしながら帆装の一部や舵と船尾回りに西欧のガレオン船の技術を取り入れ、船首楼(ろう)を日本独特の屋倉(やぐら)形式とするなど、中和洋の技術を折衷(せっちゅう)したジャンクであったことを今に伝えています。
寛永12年(1635)に日本人の海外渡航が全面的に禁止されると、外航用の朱印船は国内海運に不向きであったため姿を消しました。鎖国にあたって幕府は朱印船のような航洋船を禁じたと思われがちですが、鎖国下でも少数ながらジャンクが建造された記録が残っています。