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序 心学への道

―石田梅岩に見る日本人の倫理観―

心学参前舎舎主 小山止敬

 

丹波の国に生まれる

「今、なぜ石田梅岩か」―これは、昨年十月に開かれた「心学開講二七〇年記念シンポジウム」の大きなテーマでもありましたが、ここでは心学の現代的意義について述べる前に、まず石門心学を創(はじ)めた石田梅岩の生涯と心学のその後について、簡単に振り返ってみることから始めたいと思います。

石田梅岩の伝記としては、梅岩没後六十一年目の文化二年(一八〇五)に京都で出版された『石田先生事蹟』が、最も信頼のおけるものとなっております。

それによりますと、石田梅岩は、貞享(じょうきょう)二年(一六八五)、丹波国桑田郡東懸村(たんばのくにくわたごおりとうげむら)(現在の京都府亀岡市東別院町(ひがしべついんちょう)東掛)に生まれました。本名は興長(おきなが)、梅岩はその号であります。呼び名を勘平と申しました。父の名は権右衛門、後に頭を剃って浄心と言いました。母の名前はたねで角某(かどなにがし)から嫁いできたということであります。

 

 

 

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