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帰京の後に、河内滞留中の事ども、門人へ物語したまふ上にて、此度河内にて政胤の祝儀を受けざりしは、礼の過ぐる故なり。ほどよき事いかんと問ひたまふ。門人各答へ申しける。先生曰、銀子一両、木綿手拭一つ。是此度の礼のほどよき物なりと仰せられけり。迎ひに行きし門人、他日先生の側にゐけるとき曰、何方(イズカタ)にてもあれ、用事終りて遊山のために逗留することは、我好まざることなりとて、門人の滞留せざりしことを喜びたまへり。

先生門人の請ひによって、著したまふ書二部あり。其一部は平生人の問ひにこたへたまふ語の草稿なり。これを集めて一部と成れり。都鄙問答といふ。元文己未(ツチノトヒツジ)の秋七月梓(アズサ)に刻む。又一部は寛保癸亥(ミズノトイ)の秋の頃、門人倹約の常なることを聞得て、是を身に行はんと、其聞得たる趣を書して先生に呈す。先生是をうけがひ許したまへり。それより門人専ら、倹約を行ひければ、ある人門人の俄に倹約を行うことを非なりとして、先生と論ず。此論を書して一部となれり。斉家論といふ。延享甲子(キノエネ)のなつ五月梓にきざむ。

先生延享元年甲子(一七四四)秋、九月二十三日夜より病みて、同二十四日午(ウマ)の刻宅にて終りたまヘり。享年六十歳、平安の東南鳥辺(トリベ)山に葬る。歿(モツ)後宅に遺りし物、書三櫃。また平生人の問に答へ給ふ語の草稿、見台、机、硯、衣類、日用の器物のみ。

 

明和六年己丑九月

門人記之

 

 

 

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