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2. 札幌における都心居住論をめぐって

 

札幌市企画調整局企画部企画課長 坂上崇男

 

1. はじめに

札幌は、明治2年(1869年)に北海道開拓使が設置されたことを契機に、国が新たな都市を建設するという、我が国の近代の都市形成史上、極めて稀な履歴を持った都市である。

その都市建設は、それまで広漠たる原野であった現在の都心の一帯を、東西方向の大通と南北方向の創成川(従前からあった農業用水路としての運河)を都市軸とし、ほぼ100m間隔の道路を縦横に配置したグリッドパターンによる市街地形態を基本として進められた(図-1)。さまざまな立場で北海道開拓を担う人々に、住み、働き、楽しむ場所を複合的に提供するまちが、まさにこの一帯に、にわかに出現したのである。

この時から、基本的にこのグリッドパターンによる市街地の展開が進み(図-2)、近年に至るまで一貫して「急激な都市化」の道を歩む中、特に高度成長期以降、いかに計画的に都市基盤施設と住宅市街地を整備していくかが都市計画上の中心的な課題であったが、土地区画整理事業や開発行為の計画的コントロールを通して、スプロール的開発を抑制しながら計画的な市街地の拡張が進められてきた。この間、都市問題の顕在化、モータリゼーションの進展、市街地開発の展開、人口密度構造の変遷等、良くも悪くも、そのまま都市計画の教科書になるような発展を遂げてきたのである。

都心部については、高度経済成長期以降、人口が大幅に減少したものの、都心周辺の市街地の都市基盤が比較的良好に整備されていることや、バブル経済期においても事務所機能が居住機能を駆逐するという現象は起きなかったことから、都心居住をめぐる議論はさほど重点的なテーマとしては取り上げられては来なかった。

本稿では、このような背景の中で,都心居住促進の必要性をどのような点に見出し、どのような施策展開を進めているかを中心に紹介したい。

 

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図-1 明治2年の札幌市街

 

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図-2 昭和10年の札幌市街

 

 

 

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