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2] 自然保護区

その神農架林区の西南部、東経110°03'05"〜110°33'50"、北緯31°21'20"〜31°36'20"にかけて広がっているのが、神農架自然保護区である。

大部分原生林地帯で、ほとんどの山々は海抜1,500メートルを超える。海抜2500メートルの山が20以上。3,000メートル以上のものは6つある。最高点は神農頂の3,105.4メートルであり、「華中第一峰」と言われる。保護区内の最低点は西南部にある頼家河坪口で、海抜420メートル。最高点との差は実に2,685.4メートルである。

その成立過程を見てみよう。

1982年3月、湖北省人民政府は、神農架林区の約四分の一を省級自然保護区に指定。湖北省財政局は神農架自然保護区に20万元の経費を出している。1986年7月9日、国務院は神農架自然保護区を「国家森林と野生動物類型保護区」に指定。これらの地域では重点保護が行われ、一切の樹木の伐採・動物の狩猟を禁止することにより、希少価値のある動植物資源は守られることとなる。4年後の1990年、国連ユネスコの「人と生物圏保護区」に指定される。

国務院の批准を経て、この自然保護区が対外開放されるのは1994年のことである。

 

2. 怪獣“野人”

1] 考察史

では、その静かな原生林地帯を賑わせた“野人”騒動とはいかなるものだったのか。

先に見てきたように、神農架林区が開発され、道が通ったのが1966年。木材などの資源を求めて、人間の流入が盛んになったのは60年代後半から70年代にかけてのことである。それとほぼ同時期、神農架の山中にて、サルとも人ともつかない、毛むくじゃらで巨大な怪物を目撃したとの報告が相次ぐ。

そしてとうとう、政府は1976年9月、中国初の国家レベルの調査隊を神農架に送る。調査隊は中国科学院古脊椎動物・古人類研究所、武漢地質学院、湖北省博物館、北京自然博物館、北京教育電影製作所、及び現地の政府幹部など総勢27名で組織され、神農架での調査にあたった。翌年にも北京、上海、映西、四川、湖北の各省・市の科学研究チーム、大学研究員、博物館・動物園の専門スタッフや、人民解放軍も参加するなど、110人もの調査隊が送られている。1980年の調査隊には、北京の中国科学院古脊椎動物・古人類研究所、上海の華東師範大学、湖北省の武漢大学、華中師範学院の専門家たち28人が名を連ねた。数多くの目撃証言は得られたものの、正体はつかめぬままであった。またこの年、日本の新聞などでもこの“野人”調査について取り上げ、神農架の名が誌面を飾ったりもした注1。結局、国家が調査に関与したのはここまでで、それ以降は、少数の研究家や一部のマニアが、自費で調査を続けている。

 

注1 例えば1980年1月4日の『朝日新聞』、同年3月11日『朝日新聞』夕刊、8月1日『毎日新聞』・『サンケイ新聞』など。

 

 

 

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