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何が行われたかというと、清野先生のペーパーをちょっと読ませてもらったんですが、ここに小さな漁村があるんです。納屋地区とかこのへんに。そういうところで、当時は干潟にあり余るほどの生物がいました。ちょっと行くと魚が獲れたんです。だから今晩のおかずは、そこへ行ってちょっと獲ってくればいいと。カキなんかいっぱいあった。ハマグリもいっぱいあった。だけれども、漁師にしてみると、干潟の上に船を転がすような形になりますから、不便でしょうがないし、台風が来れば船は壊れてしまう。だから漁港をつくってくださいとお願いする。これは水産庁所管で、そう言われれば、それは合理的ですよね。それから、ここのところには守江港という港湾と、納屋港という港湾がのちほど出来てきますけど(写真-3参照)、それも物流のために陸上輸送ではコストが大変ですから、船を使おうというわけです。これも非常に合理的ですよね。もし陸上を通っていたら、これパンクするのは自明です。ですから、ここですと港湾の管理者がそういった目的のためにつくったわけです。これは誠に正しいと思う。それから、住吉浜という小さな砂州があるんでけれども、ここではリゾートをつくろう、公園にしようというんで、公園もかけながら松林を保全しながらやっていこうというふうにやってきたんです。

それで35年経ってみたら、どういう状況になっているかというと、この大きな干潟の中に、それぞれは非常にきちんと仕事をする日本人の集団として、ここに港湾ができて、漁港の大防波堤ができて、干潟は分断されて、こことここの海水交換はなくなり、ここのところは全部護岸で囲って、そしてリゾートヘ行ってみると護岸しかないという形になった(写真-3)。で、砂嘴の南側を見ると、ここのところに非常に大きな穴があるわけですよ。一体何かといったら、これは海砂採取。それぞれがみんな法律に基づいてきちんとしている。しかし、この30年間で行われた状況というのは、そういう状態がたくさんあるわけです。これはまだいいほうです。もう何も干潟がないところもある。私は別に干潟だけが大事だと言うつもりはなくて、生態系豊かな生物多様性ということからも考えれば、物流も大事だし、みんなそれぞれの価値観のものでやってきてますから、そういう歴史的なバックグラウンドを秘めた中で、特定のものを切り捨てるというのは、もはやできないわけです。だとすると、こういう現実の状況をきちんと見なければ、屋上屋の議論になってしまって意味がないと思うんです。

今のは内湾の話。今後は外海にいきます。日本海側に面した新潟港の西側にある海岸でどういうことが起こっているかといいますと、能書き言い出すと長くなっちゃうんですが、この地域は非常に氾濫する地域だったもんですから、大正12年、今から70年ぐらい前に信濃川の流路を変えました。それで洪水・氾濫がなくなって、人が死ななくなりました。いいことですよね。それから河口のところに新潟港といって、日本海における大物流基地があって、佐渡航路の基地はそこしかないわけですよ。そこをきちんと整備したいと運輸省のほうで一生懸命港湾工事をやってきて、お金かけながら発展をしてきた。それもみんなの願いですよね、そうやってやってきたんだけれども、川から海に砂がいかなくなった。さあ、侵食が起こる。どんどん侵食対策やりますが、自然現象と人間の生活とは全く無関係で、起こることは確実に起こりますから、侵食はどんどん波及していくわけです(写真-4参照)。ここのところに小さな漁港があるんですが、ここでまた社会のシステムにちょっと問題がある。それは、ここは漁港というのは水産庁所管といって、要するに漁師の生命の安全と利便性とを守るためにこういう漁港をつくるわけですね。

 

 

 

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