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1999年(平成11年)

平成10年門審第120号
    件名
練習船海王丸貨物船ジョスト バン衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成11年3月24日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

伊藤實、西山烝一、岩渕三穂
    理事官
喜多保

    受審人
A 職名:海王丸船長 海技免状:一級海技士(航海)
B 職名:海王丸水先人 水先免状:関門水先区
    指定海難関係人

    損害
海王丸…右舷後部の外板及び上甲板に凹損、ミズンマストのステイを折損
ジ号…船首部に破口を伴う凹損

    原因
ジ号…狭視界時の航法(レーダー・速力)不遵守(主因)
海王丸…狭視界時の航法(速力)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、ジョスト バンが、視界制限状態における運航が適切でなかったばかりか、レーダーによる見張りが不十分であったこと、及び海王丸を目視できるようになったとき、同船に向けて右転したことによって発生したが、海王丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことも一因をなすものである。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年4月24日10時00分
北九州市部埼南東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 練習船海王丸 貨物船ジョスト バン
総トン数 2,556トン 1,228トン
全長 110.09メートル 69.64メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 2,206キロワット 1,323キロワット
3 事実の経過
海王丸は、運輸省航海訓練所が運航する、可変ピッチプロペラ2基及び1枚舵を備え、前部に船橋を有する、4本マストバーク型練習船兼旅客船で、A受審人ほか65人が乗り組み、実習生88人、研修生11人及び指導員2人を乗せ、訓練航海の目的で平成10年4月3日12時00分東京港を出港して各地に錨泊、寄港し、同月22日10時55分部埼灯台から136度(真方位、以下同じ。)2.0海里の地点に錨泊したのち、翌々24日09時30分B受審人を乗船させたところで、船首6.16メートル船尾6.34メートルの喫水をもって、同時42分同泊地を発し、機走で関門港門司区西海岸1号岸壁に向かった。
ところで、当時、音階灯台から127度1.8海里の地点で、下関南東水道の推薦航路の南側にあたる、海王丸の錨泊地点の北方600メートルのところに、前日発生した船舶の衝突による沈没船が存在し、周囲に多数の警戒船や作業船などが出動していた。
発航前、A受審人は、霧による視程が1,000メートルであったが、関門港の視界制限による入航制限が出されていなかったことから、水先人の乗船前に抜錨準備をしておくこととし、09時15分乗組員を抜錨及び入港配置に就け、船首に一等航海士及び次席三等航海士ほか甲板員数名を、船尾に二等航海士ほか甲板員数名を配置するとともに、船橋では甲板員を操舵に、三席三等航海士を機関操作に、次席一等航海士をレーダー監視にそれそれ就けて、投じていた錨鎖5節の右錨を近錨とした。そして、関門港からパイロットボートで来船したB受審人に対して、自船の性能などを記載したパイロットカードを示すとともに、そのころ視程が800メートルに狭まったので関門港への入港の可能性を聞いたところ、予定どおり航行できることから、自船がバーキールで他の船舶と比べて速力をつけないと舵効が良くないため、揚錨、回頭を終えてからB受審人に水先のきょう導を委ねることを伝え、09時36分機関用意をかけて揚錨作業を始め、同時42分同作業を終えたところで、法定灯火を点灯し、船首が南西を向いていたので、両舷機を適宜使用して右回頭を開始した。
A受審人は、09時47分部埼灯台から133度1.9海里の地点で北に向けて回頭を終えたものの、前示沈没船の状況から下関南東水道の北側に針路をとることが困難であったので、B受審人の意向を聞き、西寄りの針路をとって290度の針路とし、同時49分両舷機を微速力前進として航行したところ、次席一等航海士から船首方に錨泊船が存在することを知らされたので、同時54分同灯台から137度1.7海里の地点に達したとき、針路を305度に転じ、3ノットの対地速力となったところで、B受審人に操船を委ね、以後右ウイングに出て周囲の状況を見ていたが、視程が500メートルになったので、同時56分少し過ぎ、乗組員に指示して自動吹嗚による霧中信号を開始した。
これより先、B受審人は、A受審人が操船中、当初の針路を下関南東水道第1号灯浮標(以下「第1号灯浮標」という。)の東方近くに向かって同灯浮標の北側に出たのち、推薦航路に沿って中央水道に向けて航行する予定で、3.0海里レンジのレーダーで周囲の状況を観測していたところ、09時50分部埼灯台から135度1.8海里の地点で、船首が290度を向いていたとき、右舷船首35度2.1海里に、同灯浮標に向けて南下するジョスト バン(以下「ジ号」という。)の映像を、またその前方に2隻の南下船の映像を認め、次席一等航海士にこれらの船舶をチェックするように依頼し、以後、自らもレーダーを見てはこれらの船舶の動静監視を続けた。
水先業務に就いたB受審人は、09時55分レーダーで前示の南下船2隻の映像が、第1号灯浮標を経て下関南東水道の推薦航路を航行しているのを認め、同時56分少し過ぎ部埼灯台から139度1.5海里の地点で、船首が305度を向いていたとき、1.5海里レンジとしたレーダーで、ジ号の映像を右舷船首40度1,630メートルに認め、同船が第1号灯浮標に向かって南下していて、同灯浮標付近で接近するおそれがあったことから、予定を変えて同灯浮標の南方に向かい、ジ号を替わしたのち、その北西方で推薦航路の北側に向けることとし、右舵 10度を令して、針路をジ号の映像の方向に向けた345度に定め、5.0ノットの対地速力となって進行した。
B受審人は、09時57分部埼灯台から138度2,720メートルの地点に達したとき、ジ号が右舷船首5度1,300メートルに接近しており、同船と第1号灯浮標付近で著しく接近することを避けることができない状況となったが、このままの針路で互いに右舷を対して無難に航過するものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めることなく、同時57分半舵を効かすため両舷機を港内全速力前進に増速して北上した。
09時58分少し前B受審人は、部埼灯台から136度2,570メートルの地点で、レーダーを見たところ、ジ号の映像が右舷船首13度1,000メートルに接近したのを認め、ジ号が、前示の沈没船付近の警戒船などを避けて第1号灯浮標付近から転針して、下関南東水道の推薦航路から外れた針路で南下することも予想されたものの、ジ号が依然として第1号灯浮標に向かっているので、前示の南下船と同様に下関南東水道の推薦航路を航行するものと思い、そのままの針路、速力で続航した。
B受審人は、その後ジ号が右転を始めたことに気付かず、09時59分少し前部埼灯台から134度2,400メートルの地点で、右舷前方に自船の霧中信号に続いて吹鳴するジ号の信号を聴き、右ウイングに出てA受審人と右前方の見張りを続けていたところ、次席一等航海士からジ号の映像が3ケーブルに接近した旨の報告を受け、その後間もなく右舷船首22度500メートルに霧の中から現われたジ号の右舷船首を初めて視認したものの、自船の船尾に向首しており、このままの針路で近距離に離して航過するものと思っていたところ、同船が急激に右転を始めて自船の船首に向けて接近してきたので、衝突の危険を感じ、同時59分半急いで左舵一杯をとったが、及ばず、10時00分部埼灯台から130度2,170メートルの地点において、海王丸は、船首が335度を向いて、9.0ノットの対地速力となったとき、その右舷船尾部に、ジ号の右舷船首部が前方から80度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風力3の東寄りの風が吹き、視程は500メートルで、潮候は下げ潮の中央期にあたり、北九州地方には、福岡管区気象台から24日06時00分及び08時20分に雷、濃霧注意報が、09時20分に濃霧注意報が発表されていた。
また、ジ号は、船尾船橋型貨物船で、ミャンマー人の船長Cほか6人が乗り組み、空倉のまま、船首0.75メートル船尾3.20メートルの喫水をもって、同月23日18時15分法定灯火を点灯して大韓民国オンサン港を発し、岡山県水島港に向かった。
C船長は、一等航海士と6時間交替の船橋当直を行いながら関門海峡に向かって航行し、翌24日05時00分蓋井島北西方6海里の地点に至ったとき、海峡通過に備えて早めに昇橋し、一等航海士から視程が2海里以内で良くない旨の引き継ぎを受けて当直を交替し、法定灯火を点灯したまま、途中、西に向かう強潮流時を避けて時間調整をしたのち、甲板長を手動操舵に、機関長を機関操作に、甲板員を見張りにそれぞれ就けて操船の指揮を執り、関門海峡海上交通センターのレーダー映像監視エリアに入って、VHF無線電話で藍島南の位置通報ラインの位置通報をしたとき、同センターから下関南東水道に沈没船が存在し、多数の警戒船などが出動している旨の情報を受けた。
07時55分C船長は、機関を全速力前進にかけて関門航路に入り、09時28分関門橋下を航過したのち、同時45分関門港田野浦区太刀浦ふ頭沖合に達したとき、視程が500メートルに狭まったので、操舵スタンド左側に備えた、3.0海里レンジ及び1.5海里レンジとした2台のレーダー監視に当たったが、機関を減速して安全な速力とすることなく南下した。
09時50分C船長は、部埼灯台から012度840メートルの地点に達したとき、針路を推薦航路に沿った第1号灯浮標に向く137度に定め、機関を全速力前進としたまま、9.7ノットの対地速力で進行し、そのころ、レーダーで船首方に海王丸を含めた多数の船舶の映像を認め、海王丸の映像が右舷船首8度2.1海里に認められる状況であったが、映像をプロッティングなどしなかったので、レーダーによる見張りが不十分で、沈没船付近に出動している警戒船や錨泊船などの船舶と思い、航行中の海王丸を確かめられなかった。
C船長は、09時56分少し過ぎ、部埼灯台から110度1,520メートルの地点に達したとき、前方に海王丸の霧中信号を初めて聞き、レーダーで同船の映像を右舷船首28度1,630メートルに認められる状況であったが、依然、レーダーによる見張りが不十分で、海王丸の映像を特定できないまま進行し、1同時57分部埼灯台から114度1,750メートルの地点で、同船が右舷船首33度1,300メートルに接近しており、第1号蛾浮標付近で著しく接近することを避けることができない状況であったが、海王丸の映像を確かめられないまま、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めることなく続航した。
C船長は、09時57分半海王丸の2回目の霧中信号を聞き、これに応えるつもりで手動による霧中信号の吹鳴を続けて開始し、同時58分少し前部埼灯台から116度1,950メートルの地点に至ったとき、レーダーにより右舷船首41度1,000メートルに海王丸の映像を認めたが、同船の動静を確かめられないまま、機関を半速力前進に減じ、レーダーで認めていた前方の沈没船付近の多数の船舶を避けて、南寄りの針路に転じるつもりで、甲板長に右舵を令して転針を開始した。
09時59分少し前C船長は、部埼灯台から123度2,130メートルの地点で、針路を185度に転じたとき、右舷船首2度500メートルに霧の中から現われた海王丸の右舷船首を初めて視認し、自船の針路が同船の船尾に向き、そのままの針路で海王丸を近距離に離して航過する状況であったが、同船が右転するものと思い、互いに左舷を対して航過しようとして自ら右舵一杯をとり、同時59分半少し過ぎ、危険を感じて機関を全速力後進にかけたが及ばず、船首が235度を向いて、4.0ノットの前進速力となったとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、海王丸は、右舷後部の外板及び上甲板に凹損、ミズンマストのステイを折損するなどの損傷を生じ、ジ号は、船首部に破口を伴う凹損を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、両船が、霧による視界制限状態の北九州市部埼南東沖合を航行中、南下するジ号が、安全な速力としなかったばかりか、レーダーによる見張りが不十分で、海王丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったこと、及び海王丸を目視できるようになったとき、同船に向けて右転したことによって発生したが北上する海王丸が、レーダーにより探知したジ号と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
B受審人が、海王丸の水先業務に就いて霧による視界制限状態の北九州市部埼南東方沖合を北上中、レーダーにより下関南東水道に向けて南下するジ号の映像を認め、第1号灯浮標付近で著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことは本件発生の原因となる。
しかしながら、以上のB受審人の所為は、海王丸が速力をつけないと舵効が良くない点、及び互いに目視できるようになったとき、近距離に離して航過する状況であったところ、ジ号が海王丸に向けて急激に転針してきた点に徴し、このことを同受審人の職務上の過失と認めるまでもない。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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