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1999年(平成11年)

平成9年広審第124号
    件名
油送船第二菱恭丸かき筏損傷事件

    事件区分
施設等損傷事件
    言渡年月日
平成11年2月25日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

釜谷獎一、上野延之、横須賀勇一
    理事官
向山裕則

    受審人
A 職名:第二菱恭丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名第二菱恭丸二等航海士 海技免状:四級海技士(航海)(旧就業範囲)
    指定海難関係人

    損害
菱恭丸…船首から船橋前部付近の両舷側にかけての喫水線外板にペイントの剥離
かき筏…沈没脱落破壊損傷

    原因
見張り不十分

    主文
本件かき筏損傷は、周囲の見張りが不十分であったことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実〉
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年12月19日01時50分
広島湾口早瀬瀬戸
2 船舶の要目
船種船名 油送船第二菱恭丸
総トン数 698トン
全長 74.70メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,471キロワット
3 事実の経過
第二菱恭丸(以下「菱恭丸」という。)は、主に名古屋港、岡山県水島港を積地とし、瀬戸内海諸港を揚地とする液化化学製品の輸送に従事する船尾船橋型の油送船で、A、B両受審人ほか4人が乗り組み、ガソリン、軽油等の石油製品1,800キロリットルを載せ、船首4.2メートル船尾4.8メートルの喫水をもって、平成8年12月18日18時40分香川県坂出港を発し、広島県広島港に向かった。
A受審人は、船橋当直体制を単独の輪番制とし、毎0時から4時までの時間帯をB受審人、毎8時から0時までの時間帯を一等航海士に定め、自らはその他の時間帯の当直に従事するほか入出港の操船にも当たっていたが、来島海峡航路等の狭水道の操船は原則として当直航海士に行わせ、適宜要請のあったときに昇橋して操船を行っていた。
A受審人は、発航後、港内操船に引き続き、備讃瀬戸北航路を西航し、20時30分ごろ同航路の西口を航過したあたりで一等航海士と船橋当直を交代した。
A受審人は、引継ぎに際し、狭水道の通航についての報告の指示を行わずに、単に、柱島水道を航過後広島港に向けて北上するにあたっては、早瀬瀬戸を経由するか広島県大黒神島西方の広い海域を北上するかの航路選択の判断は当直航海士に任せる旨を告げただけで、同瀬戸の航行が予定されているB受審人に対し、同人が不安を感じたら適宜報告するものと思い、早瀬瀬戸の航行に際し、報告を行うよう一等航海士に申し送りの指示を行うことなく降橋して休息した。
ところで早瀬瀬戸は、広島県倉橋島西方と同県東能美島との間にある逆L字状の狭い水道で、その両岸には多数のかき養殖の筏が設けられ、水路通報には個々の筏の位置は公示されていないものの、内海水路誌等には筏の存在の記載があり、同瀬戸を航行する船舶は、特に夜間、これらの筏に十分注意して航行することが要求される海域であった。
B受審人は、翌19日00時00分歌埼灯台の北西方沖合で、一等航海士から船橋当直を引き継いだが、同人から早瀬頼戸を航行する際、船長に報告する旨の指示の申し送りを受けずに、その後、柱島水道を海図記載の推薦航路にほぼ沿った進路で北上した。
01時00分B受審人は、西五番之砠灯標の西方約0.6海里の地点を航過したころ、早瀬頼戸を航行することとしたが、報告指示を受けていなかったので、このことをA受審人に報告しなかった。
B受審人は本航海のほぼ1年前に早瀬瀬戸を航行したとき、その両岸には多数の筏が点在していることを知っており、無難に航行できると思い、A受審人に対して昇橋を要請しないまま航行した。
こうしてB受審人は、01時30分釣士田港釣士田防波堤灯台から240度(真方位、以下同じ。)1.5海里の地点に達し、早瀬瀬戸西口に差し掛かったとき同瀬戸の航行に備えて機関を9.0ノットの半速力前進とし、同時43分早瀬大橋橋下を航過して北上した。
01時44分B受審人は、大柿港引島防波堤灯台(以下「防波堤灯台」という。)から156度1.2海里の地点に達したとき針路を346度に定めて操舵を手動とし、半速力前進のまま進行した。このころB受審人は、同瀬戸東側の岸線一帯に多数の黄色灯火が点在しているのを認め、これらは筏の存在を示す灯火であることを知り、注意を配りながら続航中、同時47分防波堤灯台から153度1,600メートルの地点に達したとき、同灯台から134度700メートルの地点を南東端とし、同地点からほぼ北方に約1,350メートル、ここから南西方に約500メートル、同地点から南方に約1,000メートルの各点を結ぶ、ほぼ台形状に設置されているかき養殖のかき筏の、前示、南東端を表示する黄色灯をほぼ正船首0.5海里のところに視認し得る状況となったが、同瀬戸東方の筏の灯火にのみ気を奪われて、船首方には筏が存在しないものと思い、レーダーを使用するなどして周囲の見張りを十分に行うことなく進行し、この状況に気付かなかった。
01時48分B受審人は、同黄色灯と560メートルに接近したが、依然、見張り不十分でこのことに気付かず、同時50分少し前ふと前路を見たとき船首至近に黄色灯を初めて視認し、あわてて左舵一杯としたが及ばず、01時50分防波堤灯台から134度700メートルの地点に設置されている前示かき養殖筏南東端にほぼ原針路、原速力のまま衝突して、これに進入した。
当時、天候は晴で風力2の西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で視界は良く、月令は8.3日であった。
A受審人は、報告を受けて昇橋し、事後の処置にあたった。
その結果、菱恭丸は、船首から船橋前部付近の両舷側にかけての喫水線外板にペイントの剥離を生じ、かき筏は沈没脱落破壊損傷を生じた。

(原因)
本件かき筏損傷は、夜間、多数のかき筏の灯火が点在する早瀬瀬戸を北上中、見張り不十分で、かき筏に向けて進行したことによって発生したものである。
菱恭丸の運航が適切でなかったのは、船長が、早瀬瀬戸の通航に際し、船橋当直者に狭い水道での報告を行うよう申し送りの指示を行わなかったことと、同当直者が、狭い水道の航行にあたり船長に報告を行わず、かき筏の灯火に対する見張りを十分に行わなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
A受審人は、夜間、かき筏の多数点在する早瀬瀬戸の航行が予定されている場合、自ら操船指揮をとることができるよう、船橋当直者に対し、狭い水道での報告の申し送りの指示を行うべき注意義務があった。しかるに同人は、船橋当直者が、航行に不安を感じれば適宜報告するものと思い、狭い水道での報告の申し送りの指示を行わなかった職務上の過失により、かき筏との衝突を招き、同かき筏に破壊損傷を生じせしめ、菱恭丸の外板にペイント剥離を生じさせるに至った。以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、夜間、かき筏の多数点在する早瀬瀬戸を北上して航行する場合、船首方に存在するかき筏の灯火を見落とすことのないよう、見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに同人は、右舷方に点在する筏の灯火のみに気を奪われて、船首方に筏は存在しないものと思い、見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、かき筏との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。






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