このようなことから、私達ヒトが生き延びるためにはその原因となっている私達一人ひとりの生活、社会のシステムを変えなければならないのではないでしょうか。
私達は地球的課題の解決に早急に取り組まなければなりません。その原因である一人ひとりの生活と社会を見直すことが必要です。先進国も、開発途上国も、市民一人ひとりの意識と行動の変革が、すなわち主体的に行動できる市民の育成が必要です。主体的に行動できる市民からなる社会を市民社会と呼びたいと思います。地球的課題を解決してはじめて、持続可能な社会であるといえます。ですから、私は持続可能な社会とは市民社会ではないかと考えています。
環境教育は、自然環境および人工環境の両方を含む全ての環境に関する知識をもち、環境の質を保証するための研究、問題解決、意思決定、そして行動に必要な能力を有し、それらに主体的に参加できる市民を育てる学際的な過程である。
John Disinger,1993
上は、私の大好きな環境教育の定義です。最近では、「持続可能性のための教育」という環境教育の定義が国際的に提案されています。
主体的に参加する市民とありますが、公共的な分野でまだまだ行政の力が強い日本ですが、これから市民参加について紹介します。千葉会議はパートナーシップをテーマにしてきましたが、パートナーシップを超えるといいましょうか、次のステップの参考になればと考えています。
(2) 市民参加
市民参加とは、行政機関が実施する政策に関心のあるすべての市民が、行政機関の意思決定過程(意思決定プロセス)の出来る限り初期の段階から、その決定に関与し、さらに政策の実施・評価に関わる機会を保証されることである。
これは、TEA-NETがまとめました「持続可能な社会構築のための市民参加と行政の役割(平成10年度職員自主研究グループ活動研究報告書)」の中で定義したものです。市民参加というよりも市民参画という表現の方がいいのかもしれません。
図4は、まといから梯子を連想してほしいのですが、市民参加のはしごを下から上に登るように、まとめてみたものです。9段の梯子をつくりました。?は、例えば出来上がってしまった廃棄物処分場の見学会を、事後対策として実施するものです。?は、パンフレットや広報誌の発行や、新聞発表などを通して、情報は伝えるものの、一方的な連絡に過ぎないものです。これらは、市民参加とはいいません。
市民参加は?から?までありますが、?は地域団体調査や市民意識調査のように多くの人から意見をきくものの、行政の意思決定においては、それらの意見に必ずしも拘束されないものです。?は行政主導型といいましょうか、事務局である行政のおぜん立てがすでに整っている形式的な審議会であったり、懇談会です。
実質的な参加は?からです。?は市民との交渉により意思決定がなされるもので、その制度的な保証があるものです。
しかし、市民一人ひとりを交渉相手にするものではなく、市民側も組織といいましょうか団体になる必要があります。