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同条約第2条は、被疑船の速度で、米国沿岸から1時間の航程内において、米国が酒類密輸取締りのために英国船を臨検捜査できることを規定した。)に違反する船舶としてマークしていた。1929年3月20日、合衆国沿岸警備隊(U.S.C.G)の警備船ウォルコット(Wolcott)は、合衆国ルイジアナ沖を、航行中のアイムアローン号を発見し、停船信号を発した。その位置は、合衆国の海岸から、合衆国の主張によれば10.8海里、カナダの主張によれば14.5海里であった。

アイムアローン号が停船信号に応じず、外洋に向けて逃走したため、ウォルコットは追跡を開始した。それとともにウォルコットは、警告射撃による停船命令を何発か行ったが、備砲が故障し、追跡を行ってもアイムアローン号を停船させることができないため、他の警備船の応援を求めた。その後も、ウォルコットはアイムアローン号を視界から見失うことなく追跡を続け、追跡3日目の3月22日の朝0745頃、別の警備船デクスター(Dexter)が現場に到着し、追跡に加わった(距岸200海里のところ)。デクスターはアイムアローン号に対して停船命令を行ったが、命令は無視された。デクスター艦長は、アイムアローン号に対し、停船しないならば、撃沈するための砲撃をする旨の警告を行い、なお停船を拒否することを確認した後、0822に砲撃を開始。最初は空砲を発射し、次に実弾射撃を船首方向に、次に帆と索具に向けて行った。そこでデクスターは砲撃を中止し、再度アイムアローン号に停船を要求した。しかし、なお停船を拒否したため砲撃が再開され、それは船体に向けて行われ、0903アイムアローン号は沈没した。沈没位置は、合衆国の海岸から約255海里であった。乗組員は沈没時に海に飛び込み、デクスターおよびウォルコットに救助されたが、1名が水死した。

この事件について、もっとも大事なことは、沿岸警備隊がアイムアローン号に乗船しようとして、これを追跡し、最終的に撃沈させた一連の行為、取り分け砲撃はどのように評価されるのかということである。勿論カナダ政府は、仮に本件の追跡が正当化されるものであったとしても、撃沈することは違法であると主張していた。

 

 

 

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