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3. 歴史から見た主要ルート

 

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●天平時代

・僧行基によって大輪田泊、魚住泊など5つの泊が開かれ、古代瀬戸内海航路の基盤が整備される。

●律令時代

・646年の大化の改新の詔で、都と地方を結ぶ7道の交通制度が確立された。その1つである南海道は、紀州賀太(加太)から船で由良へ渡り、由良からは陸路で千草、大野、神本、淡路国府、福良駅(福良)を経由して、再び船で阿波へ渡った。由良は淡路の玄関口にあたることから重視され、駅家(うまや)と水門(みなと)の神をまつる由良湊神社がおかれた。

●平安時代末

・平清盛は日宋貿易のために瀬戸内航路を整備。また熊野の祭神は、中国浙江省の天台山から豊前の彦山(福岡県南東部)、伊予の石槌差山(愛媛県西部)、淡路の遊鶴羽の峯(諭鶴羽山)を経て熊野に至ったという記録がある。

●江戸時代

・1672年、河村瑞賢が西廻り航路を開発、船の往来はますます盛んになる。

・居住地、漁場を決め、藩主に対して藩の船のかこ役を決めた浦を舸子(かこ)浦と呼んだ。淡路には24ヶ所あった。

・阿波堂の浦では漁閑期には瀬戸内海でテグス(釣り糸)の行商を行った。

・短距離の客船として利用された、軽快に作られた船を「小早」と呼んだ。急を要する通信連絡にもよく利用された。阿波藩の小早は徳島に用意され、小早の舸子を務めたのは沼島の者が多かった。

 

 

 

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