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SSFスポーツフォーラム'99

─このままではスポーツクラブはできない─

 

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「このままではスポーツクラブはできない」は本当のこと

スホーツ界の方が思い描いているスポーツクラブというのは、だいたい欧米型です。でも、欧米で成功しているスボーツクラブのスタイルを、そのまま日本に持ちこんでも、うまくいくわけはない。それぞれの国の文化の違い、習慣の違い、国のつくりの違い、そういうところを分析して、自分たちの国に合ったかたちにアレンジしていかないと、うまくいきっこないんですよ

基調講演 セルジオ越後氏

 

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セルジオ越後

サッカー解説者 1945年ブラジル生まれ。日系二世。18才でサンパウロの名門チーム「コリンチャンス」のプロサッカー選手としてプレー。72年に来日し、藤和サッカー部(現:ベルマーレ平塚)のゲームメーカーとして活躍。来日当時から少年サッカーの指導に熱心で、現在までに1000回以上の教室で延べ50万人以上に指導を行ってきた。講演も各地で行っており、辛口の内容とユニークな話ぶりで絶大な人気を博している。

 

日本人を分析する

まず、国のつくりの違い。僕の勝手な想像かもしれないけど、日本は戦争のあった国で、戦後ゼロから立ち直った国。働いて、働いて、働きづくめでここまできました。日本の公園にはベンチしか置いてない。大人は一服して仕事に戻れという設計ですよ。でもそうやって、この国をものすごく発展させた。同時に、仕事以外することがないという大人を増やしたんです。だから、バブルがはじけて、不況で暇になって、休日も増えたのにその時間の使い方がわからない大人たちばかりの国ですよ、今は。そんな大人たちが、どうやってスポーツと向き合えるんでしょうか。

ある時期から、日本ではゴルフがすごく盛んになった。その理由は交際費が使えたからです。要するに飲みに行くのと同じ感覚で、ゴルフ場を利用していた。だから不景気になると、とたんに飲み屋とゴルフ場がつぶれそうになる。ということは、日本には、自分のお金を払ってまでゴルフに行くという習慣がないとうことになりませんか。塾や習い事の延長で、自分の子どもには、スポーツをやらせるためのお金は使うのに、大人は自分のためには使わない。そんな環境でスポーツクラブが成立するでしょうか。環境というか、社会の考え方を変えないと無理じゃないですか。

日本の文化も変化している。たとえばコンビニエンス・ストア。あんなに増えて共倒れにならないのかと思うほど増えている。でも、つぶれていません。手を伸ばせば届くというのがコンビニだから、その人にとって一番近い店がその人にとってのコンビニなのです。学校もコンビニですね。日本の子どもたちの大半は歩いて行けるところに学校があるでしょう? 病院も、大きな病院は少ないけれど、診療所は沢山ある。何でも近くにないと満足しない日本人が増えてきている。そういう変化にスポーツ界の人々は鈍感なんです。

 

スポーツか種目か?

スポーツクラブが根づくには、子どもの頃から複数の種目を同時にできる習慣が大切なんです。スポーツが文化としてとらえられているかどうか。スポーツは暇つぶしですよ。他に何もやることがない時に楽しむためのもの。別にスポーツに限らず、そういう性格をもったものが文化なんです。音楽もそうだし、絵を描くのだって、本質的には暇つぶしから生まれたものでしょう? 日本の貴族たちが楽しんだ蹴鞠なんて、りっぱなスポーツですよ。綱引きもそうですね。

日本はスポーツ文化じゃなくて種目文化の国なんですよ。学校のスポーツは授業の一環で、遊びじゃないから、効率よく運営するために種目別になっている。いわゆる部活動というもので、入学してサッカー部に入ったら、1年中サッカーをやってる。へたをしたら卒業するまで、サッカーしかやってない子がいっぱいいる。バスケットをやったら、バスケットばっかりやる。考えてみれば、日本人のスポーツ経験というのは、おおかたが学校でやってるだけでしょう? 設備があって、見かけは料金タダだし、事故とかの安全面での保証もあるから、そういう習慣が生まれたのかも知れないけれど。

ただ、卒業したら大半の人はスポーツをやめちゃうんですね。

外国では、学校は勉強するところ、スポーツをする場じゃないという考え方が主流ですよ。体育の時間はあるけど、部活動なんてないですから。だから、学校の外にスポーツクラブという受け皿ができてくるんです。そこでは、いろんな種目が体験できるし、スポーツは文化だという考え方も自然と根づいていくのです。

本質的に、もしかしたら日本人も文部省も勘違いしてませんかね?教育の場はスポーツ選手を育てるところじゃないでしょう。学校は勉強する所です。そういう主旨を逸脱していることに早く気づかないと、日本の社会も学校もどんどんおかしくなってきますよ。

 

種目を離れて発想する

種目別の弊害はいろんなところで出てきている。たとえば、「強化」という発想や、「補欠」という言葉が生まれた背景にあるのは種目別競技からでしょう?高校野球で甲子園を目指すのが三千何百校、高校サッカーも三千何百校の頂点に立つという大会が毎年行われている。でも、あれってアンフェアな大会ですよね。その種目の選手を育てている学校と、本来の学校の主旨を全うしようとしている学校が対戦したら、力の差は歴然。なのに文部省はアンフェアだと思っていません。気がつかないのは、現場を常に確認していないから。組織は行事をこなすことに汲々として、新しいものとか、社会の変化とか、人口が増えたなど、そういう変化の分析や企画に力を注ぐ余裕がないんです。

僕が日本へ来てから、気のせいかもしれないけれども、追い越し禁止という道路がだんだん増えてる。だって、車がこれだけ増えたら、追い越し禁止も増える。要するに社会の変化に対応しなきゃいけないということに、スポーツ界に関わっている人々は無頓着なんですよ。

種目を離れて、スポーツをもっと交流させなかったら、スポーツクラブはできませんよ。長期的な交流を積み重ねていけばいい。長期的にやるというのは、どでかくやるより、小さく始めて拡大していったほうが定着は早いんですよ。勢いが出ますから。10人1組でたまに集まって何かスポーツを楽しむ会をつくればいい。それにクラブという名前をつけましょうよ。いろいろな会と交流して、新しいスポーツにチャレンジしてみましょうよ。素人がやってみると、ゼロがすぐ1になるから、おもしろいんですよ。そのおもしろさが継続性につながり、段階的に上手になっていくから、どんどんおもしろくなっていくんです。

それから、スーパーに行くと、これ食べてください、これ飲んでくださいと繰り返し勧められるように、仲間を引き込まなくちゃいけない。やりましょう、やりましょう、やりましょうでね。マージャンで1人足りないときは必死で探すでしょう?電話したことない友達から突然電話がかかってきて、「おう、元気か」って。何だといったら、1人足りないと。足りてたらかかってきません。必要だからかかってくる。

じゃあ、スポーツクラブの必要性って何?誰が切実にスポーツをしたがってるの?ニーズがあるのか、それともニーズを創り出さないとだめなのか、そのあたりのことを考えたことがありますか?

 

日本人にスポーツは必要か?

誰でも言うことだけれど、スポーツの大きな役割は、スポーツを通じて人間同士の交流が図れるということ。どの国に行っても、金持ちでも、貧乏でも、どの立場の人間でも、ルールさえ知っていれば同じ時間を楽しめるということ。人間は他の人間と交流することで成長し、発展してきた。スポーツはその接着剤だったんです。

たとえば、人と人のコミュニケーションがなくなったら社会はどうなるんでしょうね。思いやりを持てというけど、人と会わない中で思いやりの心が育つはずがありませんね。少年問題なども、人と交流しなくなって、ひとりよがりが幅を利かせるようになったから起こってきたんじゃないのかな。自分だけでできる、となったらコミュニティも家族も、そして国も崩壊しますよ。自分ひとりじゃできない、というよりひとりでやってもつまらないのがスポーツでしょう?だから、昔よりも今の社会にこそ、スポーツが必要だって言えるのではないでしょうか。

この会場に来るのに、銀行のATMにカードを入れてボタンを押したらお金が出てくる。そのお金を駅の機械に入れてボタンを押したら切符が出るんです。その切符を改札の機械に入れて電車に乗って、また改札に入れて……もう、他人に頼らずに来れるんです。便利ですね。でも一方で、人に関心がなくなってる。便利で進んだ社会だけど、進んだ分だけいろいろ歪みが出てきています。それも無意識のことで、誰も歪んでると意識してないところに問題がある。意識的に、自分のため、社会のためにスポーツが必要だという考え方を多くの人に植え付けていかないといけませんね。

それに、いまの日本人を見てると、常に同じ人と交流を深めていませんか?ゴルフはいつも同じ人とやってませんか。カラオケも、昔のスナックならよかったんです。マイクの奪い合いで、知らない人と出会えたから。いまは部屋を閉めて、親しい友だち同士でカラオケボックス。これでは交流は増えない。だんだんそういう孤立した社会になっていってる。発想も狭くなっていってる。

クラブを人と人が交流する場だとしたら、みんなでスポーツする集まりもクラブ、学校の同窓会だってクラブです。いろんなクラブがあるということですね。考えたら、飲み屋にクラブという名前がついていても、それは間違いじゃないです。そこに行って交流ができる、友達ができる。要するに人と人を会わせてくれるという催しが起きているところなら、みんなクラブなんです。飲み屋のお客同士で草野球チームができたりする、それもクラブ。スポーツクラブはこういうものだ、という先入観に縛られるから、なかなか実現しないし、やり始めてもすぐに経営が行き詰まってしまうんじゃないですか?

それから、行政を巻き込むという運動もしなくちゃいけない。でも、文部省だけでいいのか、外務省じゃだめなのか、環境庁は、大蔵省は、というふうにいろんな可能性を考えなきゃ。

人と人が繋がることの大切さはわかった、じゃあ、なぜスポーツなのか。その回答を見つけなきゃいけない。

日本の子どもたちは本当にスポーツが好きですか?

日本の大人たちはゴルフは好きだけど、スポーツは好きですか?

お母さんはダイエットにエアロビクスやテニスをするけど、本当にスポーツが好きですか?

大学生はサッカーは好きだけど、何かスポーツを好きでやってますか?

だいたい、日本人は本当に心の底からスポーツが好きなんですか?スポーツを通して交流する必要性を本当に痛感しているんですか?

国の違い、制度の違い、そこから生まれる習慣の問題、社会の変化、いろんな要素をひとつひとつ分析して、この国のかたちに合ったスポーツクラブとは何かを考えてください。

この日本の経済力と組織力をアレンジして、上手に生かせる知恵を出し合う。あの手この手で頑張って、社会を支えるためにスポーツをやる必要性、やっぱりスポーツクラブはいいんだと、これをみんなで実現しなかったら自分たちの世代も、また次の世代たちも苦労するんだという認識を、もっともっと、やってる人たちだけじゃなくて、やってない人たちに伝えていく。あきらめないで、長い運動としてぜひ頑張ってやってほしいと思います。

今日はどうもありがとうございました。

 

 

 

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