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PROGRAMME NOTES

白石美雪

 

ルチアーノ・ベリオの作品表をみると、初期に《海の祭りへの前奏曲》という弦楽四重奏曲がある。ベリオは少年のころ、将来、もし音楽家にならなければ船長になろうと考えたそうだが、その話は水夫を夢見たドビュッシーを思い出させる。もちろん、2人とも船乗りの道を選ぶことはなかったが、海への思いを音楽に託している。

ベリオの音楽を聴きながら、こうしたエピソードが脳裏に浮かぶのは、おそらくどの曲にも情感の温もりや揺らぎが感じられるからだろう。戦後、颯爽と登場した同世代の前衛作曲家とともに、ベリオは最先端の電子音楽にもセリー音楽にも積極的に取り組んできたが、たとえば同じセリー技法で書かれていても、ブーレーズの《ストリュクチュール》と、今日演奏される《室内楽》とではかなり感触が異なっている。ブーレーズにとってセリー技法が過去を想起させるものを立ち切るための方法だったのに対して、ベリオにとっては「より大きな音楽の領域をコントロールできる手法の拡大」だったのだから。ベリオは感情や記憶と結びついている過去を拒絶しない。伝統をしっかりと受けとめながら、さらに広い世界を求めて航海を続けるのである。

今回、5つの室内楽作品をまとめて体験すると、ベリオの音楽がもっている2つの特徴に気づかれるだろう。ひとつは、ベリオのメロディのセンスである。《フォークソングズ》はもちろんのこと、初期の《室内楽》から超絶技巧を用いた《セクエンツァ》のシリーズ、そして《リネア》でも、ベリオの耳がひと連なりの音から「歌」を聴き出す力を持っていることが感じられる。

もうひとつは独特のポリフォニーの感覚。代表作《シンフォニア》の第3楽章で実現したように、ベリオの眼には世界がひとつの物語のように進んでいくのではなく、あちらこちらで多彩なものがひしめき合い、たえまなく流転していくように映っている。だから、彼はひとつのスタイルや形式にはこだわらない。同時にいくつものできごとが進んでいく形態にこそ、ベリオはリアリティを感じるのである。

 

ベリオ:女声とクラリネツト、チェロ、ハープのための室内楽(1953)

 

ベリオは1950年代の前半に、セリー技法を応用した曲をいくつか書いている。1954年には彼自身、前衛のメッカだったダルムシュタット国際現代音楽夏期講習会へ出かけているが、ベリオが12音技法やセリー技法になじむようになったのはそれ以前のことで、イタリアの作曲家ルイジ・ダラピッコラとブルーノ・マデルナを通じてだった。《5つの変奏曲》(1952)から《室内楽》を経て《ノウンズ》(1954)にいたるまでのセリー技法を応用した作品群でも、旋律的要素が際立っているのは、ダラピッコラの影響が大きい。

《室内楽》はベリオが28歳のとき、キャシー・バーベリアンのために作曲された。3年前に結婚したばかりのキャシーはアルメニア系のアメリカ人で、「七色の声」をもつと言われた歌手。彼女の存在が、ベリオにつぎつぎ斬新な歌を書かせることになった。もっとも《室内楽》は擬態語や笑い声などを含まない古典的な歌曲で、ロンドンで出版されたジェイムズ・ジョイスの詩集『室内楽』からテキストを取っている。この詩はジョイス自身が歌われるものとして構想したという。

第1曲「陸と風をわたる絃」は、どのパートのメロディもほとんどが、音高のセリーとその変形によってモザイク状に組みたてられていて、それぞれのセリーの共通音を重ねることで、メロディに連続性を作り出している。冒頭の歌の一節で基本となるセリーが示されるが、よく聴いてみると3度や4度の音程が含まれ、うっすらと調性感がある。恋をしている男がさ迷い歩く河のほとりで、自然の奏でる絃の調べがやさしく響いている。

第2曲「モノトーン」はタイトルのとおり、声のパートが終わりのほんの一節をのぞいて、ずっとラの音で歌う。

 

 

 

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