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シューベルト:イタリア風序曲第1番D.590(1817)

 

1817年の秋11月、シューベルト(1797-1828)が20歳の時に書いた作品。旧全集の中に収められ、1886年に出版された。このD.590、そしてD.591の、2つの演奏会用序曲は、同時期に書かれていた第6交響曲と同じく、典型的な「イタリア風」の様式であることから、「イタリア風序曲」と呼ばれるが、これはシューベルト自身ではなく、作品を管理していた兄のフェルディナントが後から付記したものと言われている。

シューベルトの住むウィーンという街は、良くも悪くも流行に流されやすい気質を持っていた。ちょうどそのころの流行は、ロッシーニのオペラ。ロッシーニなくしては、ウィーンは夜も日も明けないほどの人気ぶりだったという。シューベルトも、その影響を強く受けたことは言うまでもない。この曲などは、「ほとんどロッシーニのパロディ」と言われるほどだ。直接的には、ロッシーニの歌劇《タンクレーディ》のアリアの一節("Ditanti palpiti...")が引用されているが、音楽のスタイルそのものが、もうすでにロッシーニの様式のコピーであることは明らか。また、序奏とコーダで使われている素材は、《魔法の竪琴》D.644(のちの《ロザムンデ》D.797)の序曲にも登場するもので、私たちには馴染みぶかいい音楽だ。またさらにシューベルトは、2つの《イタリア風序曲》を、ピアノ連弾用に編曲してもいる(D.592、D.597)。ベリオがこの曲を選んだのも、当然そうした「注釈関係」を意識してのことだろう。

曲は、アダージョ(3/4拍子)の序奏につづいて、アレグロ・ジュスト(2/2拍子)の主部、そしてアレグロ・ヴィヴァーチェ(6/8拍子)のストレッタ、という3部構成。

 

ブラームスベリオ:作品120-1クラリネット(またはヴィオラ)とオーケストラのための(1984/86)

 

1986年、ロサンゼルス・フィルハーモニー協会の委嘱で書かれた《作品120-1》は、もとの曲の大きな骨組みを「ほぼ」そのまま残したトランスクリプション。原曲は、ブラームス(1833-97)が1894年に書いた《クラリネットソナタ》へ短調。このころのブラームスは、自らの創作力の衰えを感じて、何か新しいことに挑戦するというよりは、そろそろ人生に整理をつけようという気分になっていたと言われる。遺言ももう書いてしまった。ところがそんなときに耳にしたのが、当時マイニンゲンで宮廷管弦楽団のクラリネット奏者をしていた、リヒャルト・ミュールフェルトの演奏だった。すっかり感銘を受けたブラームスは、彼のために、クラリネットを含む室内楽の新作をたてつづけに書いたのだった。初めの2曲(三重奏曲と五重奏曲)を受け取ったミュールフェルトも満足し、次は協奏曲を期待したらしい。しかしブラームスは「協奏曲など、そんな不遜なことは考えていません」と言い、2曲のソナタ、作品120を書いた。

このベリオの編曲は、はからずも形の上では「ソロ+オーケストラ」となっているが、両者を「競奏」させるというよりは、むしろ室内楽的な緊密さを高めている。ソリストは、原曲と同じく、クラリネットとヴィオラのどちらでもよい。オーケストラの楽器編成は、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン3、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部。これに、コントラファゴットとトロンボーンが加わり、低音を非常に効果的にサポートしている。さらにベリオは、この曲は、ブラームスの晩年の室内楽特有の、凝縮されたタイトな様式で書かれているので、コンサートホールのように、いわば音が拡散していく場所で演奏するには、単に音量だけでなく、もっと本質的な工夫が必要だと考えた。そこで、原曲にはない音や音型も加えて、テクスチュアをかなり徹底的に書き直し、その上、第1楽章の冒頭に14小節、第2楽章の冒頭に5小節の序奏を足した。

第1楽章は、第4交響曲を思い出させるメランコリックな楽章。再現部で、ソロ・クラリネットに弦のソロを絡め、メロディーを3度で繊細に甘く歌わせるところなどは、美しいものは決して見逃さない、イタリア人ベリオの面目躍如。第2楽章の序奏は、アリアが入ってくるのかと見紛うほどだ。深く内奥へと沈んでゆくソロのメロディーに、オーケストラのクラリネットが影のようについていく。その超低音がコントラファゴットに受け継がれるまでの瞬間は、呆然自失するほどの美しさ。第3楽章は、ゆったりとした民俗舞曲、レントラーのような風情がある。そして第4楽章は、軽快なロンド。

 

 

 

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