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ここに滑走路をつくったのは1988年ですが、そもそも中国がここに出てくるのが1974年です。もともと西沙諸島というのは二つの大きな群島からなっていて、大雑把に言うと、東側と西側とになっている。東側というのは中国が領有していて、西側のベトナムに近い方は南ベトナムが領有していた。当時はまだ南ベトナムの時代です。それを中国が1974年1月に軍事力を行使して南ベトナムから奪還し、完全に支配するということになった。それで具体的な開発が始まるわけですが、西沙を完全に押さえて、やったことは二つあります。一つはここを軍事基地化するということですが、その前にもう一つやったことについてひとことだけ触れておきます。

 

6:漢や唐の時代の遺物を発掘

 

中国は考古学者をここに送り込んで発掘をしました。そして漢や唐の時代の遺物が出たから、漢民族は漢や唐の時代からここを支配していた、というように領有権の拠り所にしたということですね。かつてのソ連もそうですが、非常に考古学が盛んで、発掘をする。ロシアの場合は、スラブ民族がいかに昔から中央アジアから極東アジアに住んでいたかと言っていたわけですが、中国の場合も、南シナ海に早くから住み着いていたかということをやっていた。特に貨幣が出たということをさかんに言っている。つまり、単に生活していたのではなくて、経済活動を営んでいたというわけです。これは海洋法条約の一つの条件は人間が住んでいるということと経済活動を営んでいるという問題がありますので、そういう点で貨幣が出たということは非常に重要視されるわけです。そしてもうひとつは、ここを軍事基地化するということですね。そういう具合にして、西沙を固めた。

 

7:アメリカが出てこないことを見定めて西沙を押さえた

 

その時にもうひとつ付け加えておきたいことは、1974年早々になぜここに出て来たかということですが、1973年にパリの和平会談があって、アメリカがベトナムから引き揚げるという決定を下した。アメリカは、もうベトナムはこりごりだからもう引き揚げる、後は勝手にせい、といって引き揚げていく。ということでアメリカが出てこないということを見定めて、軍事力を派遣して西沙を押さえたということを申しておきたい。

アメリカの軍事力というのは世界一だから、とても中国はそれに対して対抗できるわけではないから、そんなものは相手にならんよ、という議論がずいぶんあるわけですが、それはその通りでありますが、中国の動きを見ていると、アメリカが動かないような状態を見定めて脱兎の如く飛び出してくる。その最初の例ですね。

 

8:南沙諸島への進出

 

そうして1974年にここに出てくる。その次は南沙だということは常識的に考えられるわけで、私はその頃からいつ出てくるかということに関心があったのですが、なかなか出てこなかった。

 

 

 

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