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話しが飛躍して恐縮だが、日本の天孫降臨の神話では日本のことを「豊葦原の瑞穂の国」と呼んだ。古代の日本は湿地帯で葦が密生していたのであろう。葦は日本における自然のホメオスタシスの機構を維持するのに必要な「生態的要因」だった。

いま葦と同じく湿地帯に育つ稲で葦をおきかえてみる。それでも自然のホメオスタシスの機構が乱れないということになれば、稲は葦の「生態的等価要因」である。

この場合、葦原を水田にして稲を植えた方が得である。なぜなら葦は人間の食糧にならないが、稲は食べられるからである。そのうえ、葦と稲を交換しても生態系は混乱せず、人間の住む環境は保全される。

これを「移植」による「代償作用」と呼ぶ。人類はこのような「代償作用」を利用して自分に有利な生物を「移植」し、これによって生態系本来の「食物連鎖」を人類中心の「食物連鎖」に組みかえてきた。ここに「農業」の発端がある

農業は約1万年前、地球が温暖になった間氷期のはじめに成立したと考えられている。人間が集落を形成すると残飯や糞尿、灰が堆積する。その結果、集落周辺の土壌が肥沃になって、植物が繁茂する。また、集落周辺の残飯目当てに動物が寄ってきて人間と同居するようになる。

こうして身近な植物や動物との「共生」によってその「ライフサイクル」が観察された。やがて人間が種をまいて植物の「ライフサイクル」を管理し、動物に子供を産ませて、その「ライフサイクル」を管理するというかたちで、農業や畜産業が成立した。

はじめはイモ類の栽培が主流であったようだが、これは保存面で問題がある。そこで、稲や麦、アワ、トウモロコシといった、収穫が安定的で、なおかつ貯蔵が可能である「禾本科植物」を作物として選定した。

 

5. 水産業と資源問題

 

水産業は水産物という天然資源を探索し、これを獲得する産業であるから、その点では鉱業に似ている。しかし、その対象である水産物が生物であるという点では農業に似ている。鉱物資源は採掘すれば減っていくが、生物資源は再生産されるから、乱獲しなければ減少を防ぐことができる。もっとも、燃料としての石油は燃焼すれば、石油資源は減少するが、プラスティックなどの石油製品は再利用がされている。鉱物でも金属留意は再利用が可能である。しかし、これは生物の「再生産」とは原理的に違っている。

水産資源の探索のうち、毎年の生産変動や魚種の長期的交代についてはいまのところ必ずしも十分な解明がなされてはいない。特定魚種のライフサイクルもまだわかっていないものがかなりある。つまり、水産業は農業と違って、資源の「リサイクリング・システム」がまだ確立していないのである。

そのうえ、未利用資源の開発も完全ではないし、国や地域や宗教によって水産資源の内容も違っている。

 

 

 

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