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分科会B<まちづくり型観光の先達「足助」からのメッセージ>

担当パネリスト 縄手雅守

 

○縄手

この分科会の進め方ですけれども、とにかく皆さんといろんなお話しができればいいかと気楽に思っております。まず最初にスライドを用意してまいりましたので、スライドを見ながら足助の町というものをイメージしていただければよろしいかなと思います。

[スライド説明]

これが、香嵐渓の一郭、飯盛山という標高254メートルの山ですけれども、その山の春の風景です。濃い緑は杉で、淡い緑色の部分がもみじの木です。秋だけではなくて、もみじの木は春も美しく、こういう景観をつくってくれます。私個人としては、この春の景色の方が大変好きです。

これは5月の風景です。ここ四万十川の鯉のぼりも大変有名ですけれども、前を流れている川は巴川という川です。今見たように一面の緑はもみじです。そこに4月の半ばから5月の連休明けまで鯉のぼりを泳がして、春の風景を描き出しております。

これが私どもの方では3月の下旬から4月の上旬、10日前後までぐらいに咲くカタクリという花の群落です。もともとこれは自生の花もあったのですけれども、山の手入れをしていくうちに少しずつ増えてきております。また、最近では人工的に種を採取して、蒔き戻しといっておりますけれども、そういう手段を使いながら春の風景づくりということでやっているところです。

これが飯盛山、先ほどの春の景色とは別の角度から見た所で、見事に右側と左側が違います。右側の杉の多い所は、香積寺というお寺の寺領になっております。左側の紅くもみじが色づいているところが町有林なんです。大正から昭和の初期に森林公園をつくろうというのは、この左側の町有地を、何とかこういう形につくりかえられないかということで住民運動をやったわけです。当時はこの町有林側も杉・桧が植えてありました。今でこそ山の木というのは無価値なようなことが言われますけれども、やはり昭和30年代までは杉・桧というのは大変お金になる木でありました。それをあえて今から70年余りも前に伐って、いってみればお金にならないもみじを植えて観光というか、地域おこしに取り組んだという、当時を振り返っても、よくそんな馬鹿げたようなことができたなと思うぐらいに、偉大な住民運動だったのではないかなと思います。

これが先ほどの紅葉の、香嵐渓のもう少し中の一部分を撮ったものです。ここの特徴は、こういう紅葉が西日を受けながら、葉裏越しと我々は言っていますけれども、表側から見るのではなくて裏側から見ることができるんです。そうすると、こういうもみじが立体的に浮かび上がって見えます。

これがライトアップです。どうしてこんなことを始めたかというのは、まず一つは秋の紅葉の時期というのは非常に渋滞をします。このライトアップをするのは、昭和63年に始めますが、何とか渋滞で遅れて来る人たちに、せっかく来ても日が暮れてそのまま帰るだけじゃなくて、もっと何かサービスをしてあげることができないだろうかということで考えたわけです。このヒントも古い資料に"昭和の初めに裸電球を灯して、夜のもみじを楽しんだ"という記録がありましたので、それも現代流に置きかえたわけです。

これによって実は困った問題が一つ起きました。それは渋滞対策どころか、夜まで渋滞するようになったことです。

 

 

 

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