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岩場からの釣人救出作戦

(株)舵社 顧問 中川久(なかがわひさし)

 

今から三十年前、私が伊豆下田で勤務していたときのことである。

当時は、今ほど海洋レジャーが盛んでなかったが、それでも、休日ともなると多数の釣人が伊豆半島東岸・南岸・西岸に朝早くから訪れ、海岸近くの岩場等へ釣人を送る瀬渡船の往復が盛況を極めていた。これについて海上保安部では瀬渡船業者に「釣人の撤収には天候を見て早めに行うよう」指導していた。

さて、十二月のある日、私の巡視船は“待機”でいつでも緊急出動できる体制で朝から船内整備を行っていた。私は、数人の者たちとサロンにいたが、その日は前日から気圧配置が西高東低で西風がかなり強い日であったので、そこで書類整理などしていた数人の誰かからこんなことを言うのが聞かれた。「こんな日(西風の強い日)に西伊豆の海岸近くで遭難船でも出たらことだな !」

伊豆半島の西岸から南岸にかけた海域は西風の強い日は波立ち、特に波勝埼以南の沿岸海域はひどく、今まで何回かこの海域で遭難船が発生し、そのたびに相当苦労した経験を皆が持っていた。

突然、当直員がサロンのドアーをノックして入ってくるなり「船長、直ぐ保安部長のところへ来て下さいとのことです」と言った。私はそれを聞いて胸騒ぎを感じたが、巡視船の係留場所は保安部の直ぐ前なので、いろいろ考える間もなく部長室へ入った。

そこには保安部の幹部三〜四人が海図を広げたテーブルの前に集まっていた。部長は私の顔を見るなり言った。

「船長、今し方、西伊豆の○○瀬渡業者から岩場にとり残された釣人一人の救出依頼があった。昨日の朝、瀬渡船で釣人をA小島の岩場に送ったが、昼ごろから西風が出てきてその後次第に強くなったので、予定の時刻の三時間前に船を出したが、波が高くなって岩場に近づけなくなった。今日も朝から二〜三回船を出したそうだが駄目なようだ。この風では巡視船も岩場へ近づけないだろうからいろいろ考えた末、陸からもやい銃による救出作戦をしたらどうか、ここに集まった皆も賛成のようだ。君はどう思うかね」

私は、早速海図を見たところ、この岩場は波勝埼の南方に位置し、今までの経験からも巡視船による救出は極めて困難と思い、部長の言葉にちゅうちょなく同意した。「やりましょう、早速、船に戻ってもやい銃の達人や屈強かつ機敏な者数人を選出し準備して保安部にこさせます。同時に巡視船も出動準備を取りましょう」

部長は「そうしてくれ」と言った。私は、てっきり救出要員だけを出せばいいと思い指揮者を誰にしたらいいか考えていると、部長は「自分も現場に行くが船長も現場へ行って指揮を執ってくれ」と命じた。

私は、船へ戻って航海長にこのことを告げ「本船は出動することになるので、あとのことは頼んだよ」

航海長は力強く「任せて下さい」と言った。

われわれは準備を整え保安部の車で現場へ向かった。車が伊豆西岸に差しかかると強い西風をまともに受け海面は真っ白に波立ち、岩場に打ちつけた大波は三〇メートル以上の飛沫(ひまつ)を上げていた。

出迎えた瀬渡業の人の案内で現場へ行くと、釣人のいる岩場は離れ小島で、陸地とその小島とは海をはさんで五〇メートルほど離れており、こちらから見る限り陸地も小島も四〇メートルほどの断崖になっていた。その小島の反対側(西側)は断崖ではないそうで、釣人はそちらの方にいるはずだが、こちらからは見ることができない。

巡視船は出動してこの小島の沖へやってきたが、波が荒くて巡視船はおろか救命艇やゴムボートですら容易に近づけない。当時は特殊救難隊もなく、ヘリコプターの性能も今ほどでなかったので、この強い西風では釣人の吊り上げ救出も無理に思えた。

 

 

 

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