日本財団 図書館


特集

 

海賊に襲われて

―恐怖の十七日間を乗り越え生還―

アロンドラ・レインボー号

船長 池野功(いけのこう)

 

003-1.gif

池野船長

 

今日では、海賊というとはるか昔の話だと思っているのが大方の認識だろう。ところが東南アジアの海域を中心に今も海賊が暗躍、否その傾向は凶暴性を増し、その規模も組織化して大規模になりつつある。

先般世間を驚かせたアロンドラ・レインボー号で恐怖の十七日間を乗り越えて無事帰還した池野功船長(六七歳)に語ってもらった。今後の海賊対策や乗組員のサバイバルのための参考となれば幸いである。

 

恐怖の十七日間

 

平成十一年十月二十二日、パナマ船籍貨物船アロンドラ・レインボー号(七、七八二総トン、池野功船長、小川健三機関長、他フィリピン人乗組員十五人、以下「A号」)は、インドネシア・スマトラ島のクアラタンジュンでアルミ塊約七、〇〇〇トンを積載して同日二十時十分に日本三池港向け出港したが、その約二時間後に海賊に襲撃された。

乗組員十七人は翌二十三日〇三時ごろ、海賊が別に用意した一、〇〇〇〜一、五〇〇トンぐらいの老朽船(以下「老朽船」)に移され、同船で六日間、目隠しと手を縛られた状態で監禁された。同二十九日、海賊は救命いかだ(ゴム製)に乗組員全員を移し、老朽船は去っていった。その後救命いかだで漂流すること十一日間、十一月九日、北緯六度四三分、東経九八度一三分の位置でタイの漁船によって十七人全員が無事救助された。

なお、A号は、十一月十六日インド西岸沖合においてインド沿岸警備隊によって奪還された。この時海賊の一味十五人が乗っており、積荷のアルミ塊約七、〇〇〇トンのうち約三、〇〇〇トンは消えていた。

 

海賊に襲われたとき

 

本誌 約一年前に今回と同じクアラタンジュン港で同じようにアルミ塊を積んで韓国に向け出港したTENYUが海賊に襲われた事件(注参照)をご存じでしたか。

池野 そのような事件があったことは知っていましたが、場所や積荷のことまでは知りませんでした。事前に情報をもらっていたら、もう少し警戒したと思います。また夜の出港を止めて朝にするとかしたと思います。

本誌 ところで襲われたとき海賊は何人くらいいたのですか。

池野 判然とはしませんが、十人ぐらいではなかったでしょうか。船を動かす者が後から乗ってきた時は目隠しされていてよく分かりませんでしたが、海賊全員で二、三十人はいたと推定しています。

本誌 海賊から殴る蹴るの暴力はなかったですか。

池野 私が見ているかぎりそのような暴力行為はなかったです。ピストルやナイフで脅かすことはあっても危害を加えるような行為は最後までなかったようです。

本誌 ピストルで威嚇の一発があったと聞いていますが。

池野 私が船橋にいないときに、船橋で海賊がピストル一発を威嚇発射したそうです。

本誌 縛られたときは、手荒だったですか。

池野 それほどではなかったです。私の手に小さな血の塊が見つかり、海賊も気がついて、どこか怪我したのかと聞かれました。自分でも気が付かなかったのですが、ひょっとするとナイフが横から出てきたときに小さな傷ができたのかも知れません。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION