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そんな大災害がカタストロフィなのである。事実、大規模流出油事故における国際協力の必要性は、OPRC条約と呼ばれる国際条約にも反映されている。

誤解を与えないために言っておきたい。カタストロフィの発想というものは「通常起こり得ない最大級の事故が発生した際にはあきらめろ」という意味では決してない。われわれは平素よりカタストロフィ発生の可能性があることを十分に認識したうえで、少なくとも「通常起こり得る」最大級の事故については万全の準備・対応を行うべきであることを示唆する前向きの発想である。

 

謎のカタストロフィの発見?

 

ここで国内外の大量油流出事故事例を振り返ってみよう。世界のあちこちでは、流出量二、三万キロリットルを遥かに上回る「超ド級」の油汚染事故が幾度となく発生している。

古くは昭和四十二年三月、英国ランズエンド沖で発生したトリーキャニオン号の座礁事故である。この事故では九万三千キロリットルの原油が流出した。昭和五十三年三月、仏国ブルターニュ沖で発生したアモコカディス号の座礁事故では、二十六万キロリットルの原油が流出した。

昭和五十四年の六月、メキシコのユカタン半島沖で発生した海底油田の暴噴事故では、五十三万キロリットルの原油が流出している。

最近では、平成元年三月、米国アラスカ州で発生したエクソン・バルディーズ号の座礁事故が有名である。この事故では四万一千キロリットルの原油が流出した。さらに、平成八年二月、英国ミルフォード・ヘブンで発生したシープリンス号の座礁事故では、推定五万から七万キロリットルの原油が流出している。

 

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福井県三国町の海岸に漂着したナホトカ号の船首部分

 

日本の場合はどうであっただろうか。わが国の油流出事故で流出量が最大のものは、船舶による事故としては、昭和四十六年十一月三十日に発生したジュリアナ号の事故である。ジュリアナ号は新潟港の港外で荒天を避けるため錨泊していた。しかし予想外の強風浪に圧流され、付近の浅瀬に座礁、船体は二つに分断された。その結果、積荷であるオマーン原油のうち七千二百キロリットルが海上に流出したもので、水産業を中心に大きな被害をもたらしている。

船舶の事故として忘れてはならないのがナホトカ号の事故である。平成九年一月二日未明、ロシア船籍のタンカー「ナホトカ」は、大時化の日本海を航行中、隠岐諸島北北東約百キロキロメートルの海上で突然船体折損をおこした。船尾部はその場で沈没した。船首部は重油を残存したままの半没状態で漂流を始め、数日後には福井県三国町の海岸に漂着した。

この事故では、推定約六千二百四十キロリットルの重油が流出している。流出重油は島根県から秋田県に及ぶ日本海側の一府八県の海岸に漂着し、沿岸域の自然環境、社会・経済活動等に甚大な被害をもたらした。

陸上から海上への流出事故としては、昭和四十九年十二月十八日、水島港で発生した事故が最大のものであったとされている。水島港の臨海部に位置する大手石油会社の製油所内のタンクが破損し、大量の重油が海上に流れ込んだ事故である。備讃瀬戸や播磨灘南部海域を広く汚染し、水産業を中心に大きな被害をもたらしている。

単に流出量のみに着目し、国内外の重大海洋汚染事故を比較した場合、日本で発生した事故は、一桁、いや二桁スケールが小さいものとなっていることがわかる。

日本の沿岸域は、稠密(ちょうみつ)かつ高度な社会・経済活動が自然と共存した形で複雑に営まれているのが大きな特徴である。そのため、ひとたび沿岸域で流出油事故が発生した場合、例えそれが些細(ささい)なものであったとしても、何らかの影響が発生することは決して避けることができない。

 

 

 

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