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このような考えから、被災地のさまざまな職種や立場の人たちから生の声を聞く調査を継続している(私たちはそれらを西宮プロジェクト、中央区プロジェクトと名付けている)。実際に経験した人から彼らの言葉で語ってもらい、それを研究者が聴いて、一般化し、再びこれを翻訳して、未経験の多くの人たちに教訓として使って貰う。このような作業の重要性が認識されてきた。これまでの防災研究になかった切り口である。これを私たちは防災エスノグラフィーと名付けた。

これは、従来の地震工学などの理工学的な研究と体となって発展されるべきものと考えられる。仮に、地震予知ができるとなったとき、その警報をどのようにして効果的に出すのかとか、高額な耐震補強のコストをどこまで出し続けることができるのか、といった問題は極めて総合的である。決して、工学や理学の分野のみからでは解は見つからない。

最近のパネル調査結果から、住宅再建における被災者の意思決定の節目と行政からのサービスの提供との間に大きなギャップが見出されてきた。これなどはほんの一例である。

このような手法が、兵庫県が震災5年目に実施する予定の『震災対策国際総合検証事業』において積極的に用いられることを希望している。それには現地にどれだけ足繁く調査に入ったかが最も重要な要素になろう。被災自治体やマスメディアが提供する情報だけでは解析は無理である。

 

3. 教訓の風化特性と総合化の必要性

わが国では、大規模な災害が発生した直後からおよそ8年経過すると防災の意識は直後の5割に低下し、18年で災害発生前に戻ることがわかってきた。このような調査は諸外国では行われていないので、一般的に言えるかどうか疑問である。これらの値は被災地でのものであるから、被災していない遠くの地域ではもっと早く忘れ去られるに違いない。そのようなところでは防災意識も初めから低いであろう。だから、阪神・淡路大震災の後、被災地と首都圏の間に明らかに『温度差』があることが多くの識者に指摘されてきた。そうならないためには、ことある毎に教訓を思い出す、再点検する機会を用意し、発信する以外にない。しかもその間、社会環境が急激に変化し続けるので『教訓辞典』など役に立たなくなる恐れがある。被害のシナリオや様相が変わるからである。

災害の教訓が重要であるのは、再び地震災害が発生したとき、その被害をできるだけ少なくし、早く個人や社会が立ち直れる知恵だからである。教訓が知恵として扱われるためには、被災地における個人や組織の経験がそのまま知恵になるのではない。災害の経験は、つぎのような時系列的な変化をたどって知恵として形成され、それが教訓となる。

 

事実(災害)の発生 → 情報の発生・把握・共有化 → 知識の形成 → 知恵の熟成

 

このような個人の多くの過程を束ねて、社会全体の教訓になるには、途中段階で一度学問のレベルで一般化する必要がある。そこでは、つぎのような検討、すなわち総合化が必要であることに気がつく。

 

 

 

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