児童演劇全国離島巡回公演
島でみた子どもたちへの愛情と情熱
劇団キオ 石原夫佐子
日本財団助成による「児童演劇全国離島巡回公演」。
劇団キオは、山口県の野島(のしま)・蓋井島(ふたおいじま)・相島(あいしま)で『卵をとるのはだあれ――魔女のフィフィ』(荒木昭夫作・演出)の公演を行った。
いずれもフェリーの無い島、その“格闘”のレポートである。
<野島(のしま)公演>
9月2日、朝6時大阪を出発。午後、防府市の三田尻港でフェリーがないため、チャーター船を用意。トラックの荷物を積み込んで、野島へ。野島は人口が300人にも満たない瀬戸内海の小さな島。
島へ着くと、港には一台の軽自動車と、リヤカーと、わずかしかいない島の子どもたち、先生、そしてPTAの方々の歓迎を受ける。
港から100m離れた学校まで、全員で2階へ荷運び。そして仕込。
翌3日、9時開演。小学生5人、中学生2人、教職員9人、島民の方々が約40人。
劇中、大きな卵を観客が風になったつもりで運んでいくシーンでは、島民の方々も楽しそうに参加していただいた。
港では別れを惜しみ、船中でひろげた給食弁当には、「楽しい劇をありがとう。野島小・中」と。ホロッとしながら、給食弁当をいただく。
<蓋井島(ふたおいじま)へ>
「さあ、三田尻港へ着いたら、またトラックに積み換えて、下関市の吉見港まで陸送だ。今日は、次の学校で仕込だ」
17時吉見港着。またフェリーがないため、定期便に荷物を積み換えて蓋井島へ。
風が強い ! 波しぶきをさけるために道具にシートをかける。
出航して15分、波しぶきもひどくなる。シートが強風に煽られ、押えにかかる。船も大きく揺れる。照明やピアノがぬれないように必死にカバー。
海水のシャワーを頭から浴び、頭から靴の中までビシャビシャ。
船室では8人のうち5人が船酔でダウン。島に近づいていく。
蓋井島に18時30分着。蓋井島は下関市の北西6?、日本海の響灘にある。人口は約150人。
港では、軽トラや耕運機が待機。日暮れ近くにもかかわらず子どもたちやPTAの人たちが荷運び。
この日は、合計7回も荷物の積み換えを行ったことになる。
<蓋井島公演>
4日9時開演。小学生21人、島民・教職員・幼児で77名。島の半分以上の人たちが集まった。
人数が少ないせいか、子どもたちも静かに観劇。しかし、目はランランと輝いている。
片づけもPTAの人たちがテキパキと手伝いをしてくださる。
別れ。港では、漁師さんからとれたてのサザエ。島の人たちが見えなくなるまで手をふって……また熱いものが込みあげてくる。
萩市の国民宿舎で泊。
<相島(あいしま)公演>
9月5日、朝11時萩港からやはり荷を積み換えて相島へ。
相島は萩市の沖合14?に浮かぶ島。人口は300人強。
港へ着くと、軽トラや耕運機が待機。私は荷物を押えるため、生まれて初めて耕運機に乗った。狭い道をスイスイと抜けていく。
校舎はログハウス風の新しい建物。和室でカレーをいただく。
14時開演。小学生19人、中学生12人、保育園児4人、島民の方々が約100人。
とてもよく笑ってくれる子がいて、芝居が盛りあがった。終演後、校長先生が「今日は、いつもと違うフランス料理を食べたような」と印象を話してくださった。
宿が無いので、会社の社員寮で泊。萩から夕方の便で届いた弁当と、お母さん方の差入れもあり、夕餉が楽しかった。
<帰り>
6日、“雨”。「いよいよ一番の難問がきたか!」と思った。ぬれやすいチャーター便を断って、定期船のコンテナにする。ありったけのビニール袋に包んで、軽トラにシートをかぶせる。
教頭先生や中学生もテキパキと動く。大変おせわになった。
<終わりに>
海水によるトラックの床のサビや器材のサビは、いつしか消え去るだろう。しかし、三つの島で見た、大人たちが子どもたちに寄せる“愛情と情熱”は、私の心から決して消え去ることはないだろう。