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今にも泣き出しそうな顔で頼んできたのです。私は悪いことをしたな、と思い

「いいよ。どこまでいくの。」と話しかけると、女の子は、

「郡山まで行きたいんです。」と、元気よく答えてくれたのです。

しばらくして来たバスに、私は男の子を胸に抱いて乗せてあげました。いざバスに乗ってみると、私達三人の他に乗客はいませんでした。

降りる時はどうするのか、と心配になりましたが、女の子は私を気づかってか、

「もう大丈夫です。本当にありがとうございました。」と言ってペコンとお辞儀をしました。

その時、思いがけない言葉が、私の口をついて出たのです。

「お兄ちゃん、暇だから一緒に行ってあげるよ。」

その後もバスの中で、女の子と色々な話をしました。ところが男の子は私を見て、にことはするものの、一言も口を聞いてはくれません。その時私は、無口な子だなぐらいにしか思っていなかったのです。

そしてバスから降り、二人と別れようとしたその時、男の子がバッグの中から、何かを取り出したのです。それは一枚のひらがなの文字盤でした。その隅にはこう書いてあります。「かわいそうではありません。話しかけて下さい。」

その男の子は、耳と口が不自由だったのです。

男の子は小さな手で、「あ・り・が・と・う」と指差しました。私は胸に熱いものを感じながら、「が・ん・ば・れ」と文字盤で答えたのです。

そして二人は、またペコンとお辞儀をして去っていきました。

私は悔やまれてなりません。なぜ私は、もっと早く男の子に気づき、もっと話しかけてあげられなかったのでしょう。もしこれが災害であったならば、私は最も大切なことを見つけられず、尊い命を救えなかったかもしれません。慌ただしい日常生活の中で、大切なものを見落としている自分に、気がついたのです。

常に相手に対して気を配り、今何を求めているのか、何が必要なのかを感じとることは、消防防災に携わる者として、忘れてはならないものなのです。

この二人の天使が、私に本当の消防人としてのあり方を、振り返ってみるきっかけを与えてくれました。

最近私は、手話を勉強しています。災害現場において、身体の不自由な方と関わることも、少なくありません。そんな時、少しでもコミュニケーションを取れたならば、より相手を思いやった対応が、できると思うからです。

現代社会の生活環境は、すべて健常者を基本として考えられており、消防防災においても、同じ事が言えると思います。

しかし、これからの社会は高齢化社会の到来や、障害者の社会参加など、福祉との関係を抜きにしては語れません。今以上に、きめ細かな行政が必要だと思うのです。

それは、法律やマニュアルで表すことのできない、人が人を支える防災、つまり温かく血の通ったふれあいだと思います。

避難訓練などで、私が下手な手話で話しかけた時、相手の驚きと感激の表情が、喜びとさらなるやる気を、私に与えてくれます。

私が今していること、それはほんの些細なことかもしれませんが、こうしたことの積み重ねが、より良い消防、より良い社会の実現につながるものと確信します。

そのためにも、常に住民との対話を大切にして、これからもひたむきに突き進んでいきます。

最後に、あの二人の天使にありがとう !

 

優秀賞

近畿支部代表  田中宏和

「私の言葉が見えますか?」

 

〔大丈夫ですか?〕皆さんはこの手話をご存じでしたか。恥ずかしながら、私は消防職員にとって、災害現場において最も大切な言葉であるこの「大丈夫ですか?」という手話、いやそれどころか手話というものを全く知りませんでした。私がこの手話というものに出会ったきっかけ、それは、姫路市消防局に入って二年目のある日のことです。

 

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