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成田空港問題

新東京国際空港(成田空港)は、羽田空港に対する需要の増加による将来の首都圏の空港容量不足を解消する目的で、立案されたものである。1966年に、空港の位置が閣議決定し、その直後に新東京国際空港公団(成田空港公団:NAA)が設立された。この決定と同時に、空港用地および周辺の地元住民(農民を中心とする)が建設反対運動を開始した。不幸にも、地元住民の運動に対して極左集団が介入し、一種の政治問題と化した。実力行使を伴う激しい反対運動に対して、用地を確保するために国、及び公団が強制収用で対処したため、対立が先鋭化した。1978年には、開港直前に、極左暴力集団が空港内に乱入し管制室を占拠、破壊したため、開港が一ヶ月強延期せざるを得なかった。近年にいたり、関係者、及び地元の努力もあり、話し合いの機運が生まれてきたことは前進である。しかしながら、成田の完全空港化(平行滑走路の供用)の時期はいまだに未定である。

 

新東京国際空港の整備(平行滑走路等の完成)

年間離発着数12万回、航空旅客数2500万人をさばく新東京国際空港(成田空港)が滑走路を一本しか有しないのは驚くべきことである。成田空港計画の初期には4本の平行滑走路を持つ大規模空港が想定されていたが、後に2本の平行滑走路と1本の横風用滑走路を持つ典型的なスタイルの空港として整備が計画されている。基本的な整備計画は1976年に建設に着手されてから変更されていないが、不幸なことに、平行滑走路(2本目の滑走路)の供用の目処は立っていない。1992年には、第二旅客ターミナルの供用が開始され、従来から不評であったターミナルの混雑は緩和された。しかしながら、限界に達している空港容量を増強するための抜本的な対策は平行滑走路の供用のみであり、これが日本の空港政策の最優先課題である。

 

 

 

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