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おわりに―――フランスの高齢者福祉医療対策の課題

 

フランスでは、世界大戦期には死亡数が出生数を上回るという人口危機にみまわれた。出産を奨励するために家族手当が創設され(1938年)、翌年には家族法典が制定された。この人口政策の効果もあって、フランスのベビーブームの期間は他のヨーロッパ諸国よりも多少長く続いた。

家族手当は社会保障制度(1945年成立)の一部門となったが、戦後には家族給付の出生促進の要素が次第に薄れてきた。「家族手当」18)は、家族給付の中で最も歴史が古い出産奨励の色合いが残っている手当である。しかしこの家族手当も、1998年から世帯所得に上限制限を設けて高所得世帯には支給しないことが国会で決議され、フランスの家族給付から全く出産促進性がなくなるかに思われた。しかし世論の強い反対にあって、所得上限の支給条件を付けることは廃止された。現在のフランスには、家族のための給付が20以上もある19)。子どもの扶養を、疾病や老齢と同様にリスクとして捕らえて、あらゆる角度から家庭を保護する手当を与えることにより、間接的には出生を促しているといえるかも知れない。フランスの合計特殊出生率は、欧州連合(EU)諸国の中でも上位に位置しているのである。

ところで早くから高齢化したフランスだが、人口のバランスをとるための出生奨励対策は急いだものの、高齢者保護への配慮は後回しにされたといえよう。ひと昔前のフランスでは、高齢者は貧しさのシンボルだった。老人ホームとして機能していた「オスピス」は、ホームレス、障害者、治療不可能な難病患者などを収容する慈善施設の名称なのである。

1960年代から、ラロック報告書で提案された高齢者福祉医療対策がスタートする。1970年代からは、年金制度を始めとして高齢者保護の本格的な対策が実施され、高齢者の生活は大きく向上した。1975年には大部屋に高齢者を収容する非人道的な「オスピス」は廃止ないし近代化されることとなった。高齢者施設は、家庭的な環境の中で個人の生活が守られる小規模施設が主流となり、たとえ痴呆老人となっても人間としての尊厳が重視される生活ができるような施設が次々に生まれた。老人ホームやケア付き福祉施設の医療化、在宅医療ケアも充実された。要介護者となってもヘルパーを雇って在宅維持ができる体制にあるのは、見方によっては、フランスでは失業率が高く、雇用の機会が少ないために、サービス提供者が多いことが幸いしているともいえる。高齢者のケアの需要は就業の機会を与えるために歓迎され、各種ヘルパー、開業看護婦、高齢者を自宅に受け入れる家庭の主婦などの人材に事欠かないのである。

1980年代には年金受給開始時期が65歳から60歳に引き下げられ、元気なうちに退職者生活を楽しめるようになっている。

 

 

 

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