児相を出るとき、沢山の先生から「しっかり頑張れよ。」などの励ましの言葉を頂きました。私は、この会ったばかりのおばさんと陸別町に向かう車の中、その雰囲気に温かい気持ちになり、なぜかしら安心することが出来ました。こうして私は、学校の先生である根本里親宅で育てて貰えることになったのです。
日本一寒い陸別町での生活は、短かったのですが、近所の教員住宅に住んでいるおばさんや友達が温かく迎えてくれたので、学校や地域にとけ込むことが出来たのです。
それまでは勉強も手につかず、かけ算の九九も他の勉強もできませんでした。しかし、根本の母にしっかり教えて貰えたことで、かけ算の九九が全部言えたときに貰える「黒帯の紙人形」を担任の先生から貰えたときは、大変嬉しかったです。勉強の教え方は厳しかったのですが、私にとっては「父」と「母」が出来たということに安心して生活を営むことが出来たのです。でも、最初は「おじさん、阿波産」としか言えませんでした。
また、その頃の私は結構病弱だったようで、吐いたり、風邪をひいたりしては、よく病院へ連れていって貰ったそうです。