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まだまだ数としては多くないんですが特にお母さんという場合、遺伝的にはお母さんなんだけれども、それこそお腹を痛めて生んだ人は別の女性という事も起こってきました。じゃどっちが生みの親か!「私です、いいえ私です」というふうなむしろ喧嘩が起こりそうな微妙な部分が今どんどん人工的に拡がってきていますね。生みの親が3人(父親を含め)これは結構多くなってきました。

これから日本でもどうも進みそうなのは、生みの親が結婚していれば夫ではなくて別の人(男性)という事も段々認められるような人工受精とか或は精子バンクとか、どんどんこの辺りで拡がっていますから従来から単に氏と育ちとか、生みの親と育ての親というふうに見ていくと何やら混がらがってしまう部分が出て来ています。その生みの親ですら色々な背景があるけれとも子供にとっては何が大切か、やはり育ての親ですね。

一般に生みの親が本来一番子育ての責任があるし普通の生活をしていますと、特に母親の場合はお腹の痛めた子ほど可愛いとか母性がどんどん拡がっていくとか色々言われますけれども、どうも私ども小児科学の分野ここ四半世紀の流れを見ますと子供にとって何が一番大切なのか、特に人生の初期において何が一番大切なのかというと生みの親である。

あなたという実際のお母さんお父さん、それよりも私をしっかりと受け止めて保護して愛してくれて、自分を信頼してくれて受け入れてくれて、あんまり否定したり罵倒されたりしない、肯定されてそのように関わってくれる人。それこそ自分にとって一番求めている人なんだという事がいろんな事から分かってきています。

これは実際に小さな子供に「そうだね」と、こんな難しい事をいって確かめている訳ではありませんが、いわゆる育ての親、もっと幅広く深くみていきますと、育ての親の意味、これをしっかり受け止めていかないと単に子育て支援といった時に、どうも受け止め方が違ってきます。歴史的に見ますと生みの親イコール育ての親、それは大なり小なり必ず含まれていますけれども、どうも育ての親というのは実の親だけではない。むしろ育ての親だけで育てられるという事は不可能であったり、もっと敢えて申し上げれば実の親だけ今申し上げた意味では生みの親ですね。生みの親だけでは果たして充分なんだろうかという事を改めていろいろ考えさせるものがあります。

このレジメのI-3のところに、例えば、取り親、名付け親、乳母(うば、めのと)、しつけ親、旅親、職親、養親、そして里親と書いてありますが、このような親という名前が付く、これは歴史的に見ても非常に意味があって付けられてきました。

例えば、取り親というのは生まれてから、本当に人生の始めは非常に命も危険性にとんでいますし感染しやすい、様々なリスクが非常に高い時期でしっかりとその後生きていけるという保障がなかなか難しい部分が多かったですね。現在では、それ程その心配はありませんが、従って子供を取り上げて、例えば母親以上にすぐおっぱいをあげたり、しっかりと守るという存在が結構古くからいたようです。取り親とか、もっと広い言葉でいうと「親取り」という言葉もあったようですが、親としての役割を果たす、実の親以外にですね。そういうスタートもあった訳ですね。

或は大体地域の長老の人達の中で「この子に名前を付けて下さい」その人が付けてくれたという重さ、名付け親というのはいろんな意味で今でも時々使われますが、そういう親の貴重な存在がありますね。

さらに上流階級の貴族・豪族を調べれば調べる程、或は現在迄に至る世界中を見てもそうですが、どうもそのような極めて特殊の上流階級は日本でもそうですが、どうも相当古くから生みの親と育ての親は違っていたようですね。専門の「めのと」のような人が日本でもいましたし、現在でも皇室の一部ではそのような事が、殆ど伝統的に守られている国もあるようですね。

 

 

 

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