日本財団 図書館


おごそかな奉幣の儀の開始である。

まず当屋は腰に差した刀をゆっくりと抜くと、扇を添えて左手で腰の辺りまで下げる。次に刀取り(休番)が膝行して刀と扇を受けると頭上に捧げて、元の座に退き、そのまま奉幣が終わるのを待つ。

次に世話人が奉幣鉾のウゴコ布を解いて当屋に進上する。当屋は幣を左右左と振り、両足を揃えてから右足を引き、幣は左肩に当てて真っすぐに立て、右膝を突き、平伏して礼拝する(これを二度繰り返す)。すると神職が奉幣鉾を受け取って階を昇り、神殿の奥深く納めて儀礼は完了する。ここで両当屋は、生き神から「元に直る」と言われている。

この奉幣の儀がいかに重要であるかは、祭の期間中に、「習い幣の儀」・「練り初めの儀」として二度の伝習、つまり予行演習があるのでも明らかだ。しかもこのときは、奉幣鉾ではなく、「習い幣」という予行用のものを使っている。奉幣鉾への、並々ならぬ尊奉が窺えよう。

御幣と鉾の合体

さて儀礼上の厳粛さもさることながら、目を惹(ひ)くのは、「奉幣鉾」という名称であり、まさしく幣と鉾が一体化したその形状である。ここで国譲り神話に、鉾が登場していたのが想起されよう(注19])。

使者から報告を受けたオオアナムチは、フツヌシとタケミカズチに言った。「頼みのわが子もいなくなってしまった。わたしも隠れ去ることにしよう。わたしが応戦したら、国内の諸神たちも同じように戦うだろう。わたしが姿を消せば、あえて反抗する者はあるまい」。

 

062-1.gif

青柴垣神事の「大棚飾り」[渡辺良正撮影]

 

そして国を平定したとき杖にした広鉾を献上し、「わたしは、この鉾によって国土の平定に成功した。天孫が、この鉾により国を治めるならば、必ず平和になるだろう。ではわたしは、幽界に隠れることにする」と言って姿を消した(『日本書紀』本文)。

このように『日本書紀』本文(『古語拾遺』もほぼ同じ)は、オオアナムチ(オオクニヌシ)が所持していた国平定の広鉾を、国土経営のために用いるよう天孫に献上した、と伝えている。広鉾の授受は、統治権の委譲と服属を示すものにほかなるまい。

とすれば、奉幣の儀に隠された意味がかいまみえるような気がする。

それまで祭の主役を演じていた当屋神主は、奉幣の儀を終えて初めて任を解かれる。いわば生き神の象徴でもあった鉾が神職の手に渡され、儀礼的に回収されて、神殿深くに奉納されるというのは実に暗示的だ。

かくも厳重な奉幣の儀には、上記のような鉾の神話が作用しているのではあるまいか。

青柴垣神事は美保神社と当屋組織が提携して行なう祭だが、祭の主体はあくまで当屋方にあり、神社と神職は脇役にすぎない。だがこの奉幣の儀には、それまでの両者の立場を逆転させたかのような観がある。奉幣による帰依と恭順。神社と当屋組織、神職と当屋神主の関係に、天つ神対出雲の神々という対立・服属の図式が重なってくる。

かつて御幣とは、神前に奉納する幣帛だった……。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION