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ヘルメス神は、四角い石柱あるいは木柱で、家の入口や都市の境界に立てた。ヘルメス柱には男根が付いていた。男根とされるものは、同時に竹馬の足場にあたるもので、梯子の段でもあった。ギリシア人は、家を出るとき、ヘルメス像を撫でて通った。ヘルメス柱は、本来は入口に立つ二本の門柱とも同一視された。ヘルメスの持ち物の一つにカドゥケウスの杖がある。杖には二匹の蛇が向き合って巻きつき、杖の先端には二枚の翼がついている。エジプトのジェド柱の先に二枚の羽がついたものがあるのを思い出す。ヘルメス柱と蛇と境界石の複合は、塚の上に立った生命の木と、塚の中から出てきた祖先の表象である蛇を表わす。二匹の蛇は、道の両側の塚から現れた蛇を表わした。カドゥケウスは二匹の蛇が一本の木に巻きついたもので、杖自体は先端が二つに分かれる。

メッカのカアバ神殿の床は、地上約二メートルの高さの所にある。床下は土と礫でつまっており、床の中央には穴があいている。床の上には約一〇メートルの三本の木柱が立ち、平たい天井を支えている。床には約一〇メートルの梯子が立てかけられ、天井の上げ蓋を上げれば屋上に出られる。カアバはへそ石で、三本の柱が立つ。三本の柱は、へその緒の中を走る三本の血管を表わすといわれる。その解釈はさておき、梯子が柱と共存することは注目すべきことである。また、カアバの入口には梯子がないと入れない。イスラム教のモスクの入口には、一基または二基以上のミナレット(光塔)が立つ。内部に螺旋階段があり塔上に出られる。

カアバの同類である韓国慶州の瞻星台(せんせいだい)も梯子を使って入ったが、屋上に出るには、さらに梯子を必要とした。この梯子はたぶん、柱に足先が入るほどの刻みを入れたものであったようである。上部の空間が狭いので工夫したのであろう。ここでは、内部の柱と梯子は同一であったのではないかと考えられる。橋、箸、柱、梯子は、語源的には同じ語である。ここでも、へそ石と梯子と柱が共存している。

英国の五月柱(メイポール)は、先端に青葉を残す生(な)ま木で、頂上からは色とりどりの布帯が何十本も地上に垂れている。子供たちが一本一本の布を手にして柱の周りを回ると、柱は五色の錦で包まれたようになる。五月柱は蛇であると考えられたようで、柱に蛇が上る絵がある。五月一日と十一月一日は、日本の正月と盆にあたり、五月柱は新年の柱である。子供たちが柱を回って巻いた布は、こんどは逆さに回って元の状態に戻る。柱一本で死と再生を演じることになる。アイヌのイナウや日本の正月の祝い棒の削りかけは、古い形を伝えている。

 

◎土山の上に柱を立てる◎

伊勢神宮の内宮と外宮の本殿の床下には心御柱(しんのみはしら)がある。柱は五尺の長さがあり、三尺が地中にあり、二尺が地上にある。地上に出た柱は、五色の布で巻き、八百枚の平瓮(ひらか)が柱の根もとにある。柱は二〇年ごとに隣の社地に立て替える。二〇年というのは、旧暦の基本となった一九太陽年(二二八月)と二三五太陰月が同じであるとする中国暦法でいう章法の影響を受けたのではないかと考えられる。

推古八年十月、欽明天皇陵の上に石を葺き、域外に土山をつくった。氏族ごとに土山の上に柱を立てるよう命じた。倭漢坂上直(やまとのあやさかうえのあたい)が立てた柱が一番高かった。この年は欽明天皇の五〇回忌で、御陵に葺き石をし、土山に柱を立てて天皇霊の再生を図った。大嘗祭の標(しめ)の山は移動式の山形で、榊を立てる。タイ国のバンコクその他の都市で見られる国礎柱は、再生の柱が固定化したものである。

神社の鳥居の左右の柱は男女性の区別がある。根もとに礫を積んだものや礫を巻いたものがある。横木の代わりにしめ縄を渡すことがある。しめ縄は蛇の象徴である。鳥居全体にしめ縄が巻きついたのもある。境内にあるご神木は、二股または三股になっていて、そこに供物を供えるが、人の背丈ほどの梯子が立て掛けてあるのが見られる。諏訪大社の上社では、現人神(あらひとがみ)といわれた大祝(おおほうり)の即位式が行われた。上社前宮の西に柊の木が立つ。その前面に要石(へそ石)があり、幕をめぐらして聖域を設け、再生する神の子を象徴する八歳の童子が大祝に就任した。ここではさらに、藁でつくった蛇形のミシャグジ(ミシャグチ)神が祭られた。ヘルメス神複合が諏訪の原初形態であった。

<桃山学院大学教授>

 

 

 

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