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第4章 彦根藩足軽善利組屋敷の平面型について

 

室谷誠一、吉見静子

 

4-1 足軽善利組

彦根藩足軽善利組の屋敷地は、その北端が外濠、南端が善利川(現芹川)、東端が朝鮮人街道、西端が勘定人方屋敷地を含めて巡礼街道によって限られた地区にある。天保七年の「御城下惣絵図」によれば約700戸を数え、城下の足軽組屋敷のうちで最も戸数の多い地区であった。

しかし、その遺構は昭和43年の調査時には158棟、平成6年には76棟と急減しており、平成8・9年度に彦根市教育委員会の依頼により16棟の遺構を調査した。今回それ以外に調査した2棟を含めた18棟について復元し、平面型に見られる特徴を考察した。

なお、今回の調査では直接建築年代を確証する資料がみあたらなかったが、昭和43年に行った13棟の遺構調査の際、天明7年の棟札のある建築があり、今回の調査対象はいずれもそれより新しいと見られた。

 

4-2 屋敷と主屋の配置

各屋敷地は殆ど南北方向の16の通りの両側にあり、間口5間、奥行10間を基本として区画されており、主屋は切妻造、桟瓦葺であるが、主屋が全面道路に接し、その脇に格子戸と板戸のつく木戸門を構える[接道型](12例)と、主屋を前面道路よりやや奥まって建て、門・塀を構え、主屋との間に前庭を設ける[前庭型](6例)とに大別される。

[接道型]には、主屋の妻面が道路に面し、妻面に下屋をつけ、道路に接する[妻接造型](8例)と、平の壁面の一部を道路に接する[平接造型](4例)とがある。

[前庭型]には、主屋の棟を道路と平行にする[平前庭型]三が6例中5例あり、一般的とみられるが、妻面が道路に面するが、前庭を設ける[妻前庭型]が勘定人方屋敷に1例だけあり、特殊な形式とみられる。

門から主屋入口へのアプローチは、[前庭型]では門から入口へ直進するが、[妻接道型]の場合は、入口を平側に設け、[平接道型-1]では入口を妻側に設けるため当然鉤の手になるが、[平接造型-2,3]では直進することになる。

 

4-3 主屋の平面型

[妻接造型]の平面椿成の基本は、[1]、[2]、[3]の事例にみられるように、手前から奥への段階的構成と、表向きと内向きの対比的構成原理に基づいて、前・中・後の3列と、表側・裏側の2分割により、入口の「にわ」と「かって」、「げんかん」と「だいどこ」、「ざしき」と「なんど」とに区分し、全体の一定枠のなかで、それぞれの広さを選択して組合わせている。つまり、「にわ」は4、4.5、6畳分、「かって」は、4.5、6畳分、「げんかん」は3〜6畳、「だいどこ」は4.5畳、「ざしき」は6畳、「なんど」は4.5、6畳などの広さのなかから選択して組合わせている。また、[4]、[5]、[6]では「ざしき」を8畳とし、[4]では「げんかん」の表側に予備的な2畳の小部屋をつけ、[5]では「げんかん」と「ざしき」の表側に4.5畳と2畳をつけ、[6]では前列の桁行を長くし、「だいどこ」を前列に、入口の「にわ」と「げんかん」を中列に記置し、「ざしき」を裏側にとるなど変則的な平面型であるが、2畳を表側につけており、[4]、[5]、[6]はいずれも[1]、[2]、[3]より規模をやや大きくして利便性を高めた平面型である。

[平接道型-1]の平面型は、[妻接道型-3]と比べて「ざしき」、「なんど」、「だいどこ」の形状が異なっているが、基本構成は同じである。両者は[平]と[妻]の違いはあっても、構成型としては共通していることを示している。

[平接道型-2]の配置を90゜回転すれば[妻接道型-3]の「げんかん」を3畳、「ざしき」を8畳、「だいどこ」を6畳、「なんど」を8畳とした平面とみられる。[平接道-3]は[平前庭型-4]の表側に4畳をとり「だいどこ」の位置を「かって」の奥に移した形式とみることができる。

[平前庭型]の[1]、[2]は、8畳の「ざしき」を表側にとる4室構成の基本平面の背面に1室を加え[3]は6畳の「ざしき」を表側にとる4室構成で、いずれも農家の平面構成と共通しているが、「げんかん」の表に式台をつける点に特徴がある。[4]は「ざしき」が背面にあり、町家の平面構成と共通しているが、[1]、[2]とともに「ざしき」を他の諸室に比べて広い8畳とする点に特徴がある。

 

 

 

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