日本財団 図書館


3-2-2 赤田又一家

所在地 立花町6-12

建築年 明治元年

間取り 1列4段型

赤田家は、昭和21年3月に銀行員であった先代がこの家を買った時から住んでいる。ここに引越してくる前は、上瓦焼町に住んでいたという。赤田氏が住まれる前は、呉服屋を営んでいた古川清氏の住宅であったが、この家では商売はされずに、店は別にあり居住のみであったという。

間取りは間口5間の1列4段型である。道路に面した8畳のミセノマは、出格子の部分をそのまま室内に取り入れ、北面に箱階段を設けている。ミセノマの奥の室は、呼称をもたないが中の間で、トオリニワの上部は、吹き抜けになっている。その奥の室(4畳)も同様に呼称をもたず、北壁面に押し入れがあり、納戸(寝室)として使われていた。いちばん奥にあるザシキは8畳で、北壁面に床と押し入れが設けられており、ブツマとしても機能している。その西隣と南隣にある4畳の室にもザシキとともに長押が付けられており、ザシキの補助的な室として使われていたのではないかと推定される。

また、直線形ではなく折れ線形のトオリニワは、昭和40年頃に床が張られているが、改造前はカマドやフロなどがあったようである。2階は、6畳で畳敷の部屋が2室とられているが、これは改造されたもので、その前は、薪や芝を入れる物入れとして使われていた。

3-2-3 井戸庄三家

所在地 立花町2-59

建築年 明治34年

間取り 2列3段型

井戸家は、現当主で5代目であるといい、4代前の庄平氏が明治中期に隣りの安居家から独立して金物屋をはじめ、その後、和傘の製造販売業を、昭和40年頃までやっていたという。屋号はキ(カネキ)である。この家は、明治34年に先々代の庄太郎氏が建てたものであるという。

間取りは、間口6間半の2列3段型で2列型町家の典型的な間取りである。ザシキは8畳で、北壁面に床と棚を設け、同じく8畳のブツマには、仏壇と押し入れを設けている。これら2室はいずれも長押を廻している。通りに面したレンジノマは、6畳のうち、1畳は台目畳として、小さな床の間を設け、低い根太天井のまま茶室として使われている。

前面には土縁を設け、障子と格子をつけている。その西隣にある7畳半のミセノマは、現在書斎として使われており、西端のドマの室は、もとはなかったという。第3段目にあるダイドコは、改造してトオリニワとの境を障子や襖といった可動的な間仕切りではなく、壁でしっかりと区画されている。表から裏までつづくトオリニワの奥には、立派な店蔵と道具蔵が設けられている。2階は畳敷部分が4室、板敷部分が4室あり、奥2室は、採光が入らない部屋であり、板敷部分はすべて物入れとして使われている。

ザシキには、床・棚・押し入れなどが設けられているが、長押はなく、主座敷は1階にとられている。

3-2-4 森本志奈子家

所在地 立花町3-1,3-2

建築年 一

間取り 1列半3段型

森本家は、明治35年に先々代の熊次郎氏が分家してここで米屋をはじめたが、米屋は先々代だけで商売をやめている。この家は、その時にはもうすでに建てられていたもので、前の居住者は不明であるという。

本家は、元船町にあり同じく米屋であったという。建築年代は、台帳にはないが、江戸期のものであると推定される。

主屋は、敷地の間口と同じく5間の1列半3段型である。その平面は、ドマ部分と畳敷ゆか部分とに大別される。

6畳のミセノマは東壁面を襖で仕切って箱階段を設け、前面には板張りの庇を設けて障子と格子を付けている。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION