日本財団 図書館


さらに、大規模になったという感じを受ける4段型の平面構成は、1戸しかなく、2段目に中庭が設けられることによって、1列型と同様に採光の面で不利となってくる中央部の部屋への採光を確保している。

[3列型]

間口の広い3列型の家では、2列型と同様に奥行き方向の段数は4段どまりとなる。この町家型は例が少なく、それぞれに特徴があるのだが、ブツマが独立してとられているという点、そして、間口いっぱいにミセノマをとらず、3列目は茶室あるいは座敷として居住性を高めているという点ではいずれも共通しているのである。

まず、3段型についてみてみると、3列目にはすべてザシキが置かれており、襖や障子などの可動間仕切りよりも壁を多く使用することによって、はっきりと区画している。これにより座敷の機能をより純化し、より格の高い儀礼的空間化をはかっているのである。

ブツマは2列目の奥の部屋に設けられ、3列目のザシキと並列して外の庭に面しているものの、壁で区画されてしまっている。この家は、現在お店を営んでおり、機能上すべての部屋を諸室としているため、2列目の奥の部屋ヘブツマを移動したようである。もとは3列目の中央にザシキと直列して設けられていたのではないかと推定される。

つぎに、4段型についてみてみると、町家では基本的に通り庭以外には通路空間はなく、1列型、2列型においては、ほとんどすべての部屋を通り抜けて座敷へ上がるアプローチとなるが、間口の広い3列型では、特に4段型になると、露路口と呼ばれる玄関とは別の出入口が設けられ、最上客にふさわしいアプローチが可能となってくる。

また、部屋の間仕切りを厳しく区画するという傾向はあまりなく、むしろ、奥行き方向の部屋の仕切りのように、襖や障子といった可動的間仕切りがほとんど使われている。

この例は2戸あり、いずれも儀礼的空間である3列目に中庭が設けられているのだが、この中庭の置かれる位置によって、部屋の配置がいくぶん違っている。

2段目に中庭が設けられている場合は、3列目にザシキとブツマが続けて置かれている。従って、ブツマへも採光を確保するとともに、茶室の後ろ側に位置するため、儀礼的空間であるすべての部屋に対して景観と自然光を確保しているのである。

3段目に中庭が設けられている場合は、庭に面してザシキとブツマが並べて置かれている。この場合は、採光面で不利であるナカノマなど中央部の部屋へ採光を確保するとともに、生活的空間と儀礼的空間を分ける役割を果たしている。

いずれにせよ、ともに座敷の格式化をはかっているわけであり、1列型・2列型に比べるとより居住性の高い家となっている。

 

3-2 立花町の町家

3-2-1 杉本義雄家(寿し すぎもと)

所在地 立花町3-4,3-5

建築年 江戸期もしくは明治初期(台帳年代では大正10年)

間取り 3列3段型

杉本家は、現在寿し屋で戦後から料理店を営んでいる。先々代が大正末期もしくは昭和初期からこの家に住んでおり、それ以前の居住者は不明である。前は旅館で、その前は寺子屋であったという。先々代は昭和3年頃からここで鶏肉や卵の販売をしており、当時は家屋が2軒分つづいていたという。

現状平面についてみれば、部分的に改造が成され、機能上、すべての部屋がお店の諸室として使われているが、当初のものとみられる柱や主人の話しなどから原形を推定すると、その間取りは間口8間の3列3段型である。

なお、現在の居住部分は、チョウリバの裏に増築している。昔の間取りは、チョウリバの中央にある雪柱の位置まで床が張られており、大きな吹き抜けのあるチョウリバの奥には、カマドが設けられていた。また、第3列目には、8畳のザシキが3つ並べられていた。現在も使われている、一番奥のザシキは天井も高く、東壁面に逆床・棚・書院が設けられている。同じく8畳のイリグチと呼ばれる室には、西壁面に押し入れを設けており、これら2室はともに長押を廻している。昔は、このイリグチと呼ばれる室の西面に、もう1つ部屋があり、その北隣には、風呂や便所といった水まわりが設けられていたようである。また、現在のナカノイリグチ部分には、ミセノマ的室が2つ並べられていたようで、その奥に、6畳のナカノマ、ブツマがつづいている。そしてもう1つ、ブツマ及びオクザシキに縁が付けられており、L字型に廻されているという点は、この家の大きな特徴の1つとしてあげられる。2階は、現在ほとんど使われていないが、後ろ室のある彦根にはめずらし町家の姿である。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION