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第2章 表構えによる町家系住居の分類

 

土屋敦夫、林昌世

 

2-0 調査の目的と方法

2-0-1 調査の目的

彦根は、彦根城を中心とした城下町の姿が、現在でも根強く残る町として知られている。徳川幕府崩壊後、明治維新が起こり、城下町が武士生活の基盤としての機能を失ってから、急速に変容を強いられていった後も町人の居住区を中心に街路はほぼ当時のまま今日に受け継がれている。街路だけでなく、武家屋敷、足軽屋敷、町家なども昔の姿をとどめており、彦根は伝統的な町なみを残す町であるといえる。第1章では、現在の彦根にはどのような家が残っているのか、またどのような分布状況かについて論じた。その結果、武家屋敷や足軽屋敷に比べ、町家が多く残っているということが明らかになった。本章では、彦根全体について述べた第1章からさらに的を絞り、残存率が一番高かった町家系住居について述べる。町家系住居には、町家と長屋が含まれている。どちらも道に面して建てられているということでは共通しているが、町家は「独立住居」で、長屋は「連戸建住居」である。ここでは、町家系住居の表構え(軒高や、ディテールに着目し)町家系住居が現在に至るまでどのような変化を遂げてきたのかを調査・分析する。そして、最終的に町家、長屋をそれぞれタイプ別に分類し、彦根の町家の伝統性、地域性を明らかにすることを目的とする。

2-0-2 調査の方法

彦根の城下町の、すべての道を歩いて悉皆調査し、それで得たデータをまとめたカルテにもとづいて調査を進めた。

町家系住居の軒高と表構えのディテールを、家屋台帳による建築年代とあわせて分析し、考察した。また同時に、町家と長屋を比較し、どのような共通点、相違点があるのかを述べる。表構えのディティールは、1]屋根、2]地棟、3]卯建、4]塗籠、5]袖壁、6]軒裏、7]2階壁面、8]2階後室、9]側面、10]1階開口部、11]2階開口部、である。

家屋台帳とは、彦根の資産課税の資料で、昭和20年以前に建てられた家を対象として抽出したものを用いた。昭和20年以降に建築された家や家屋台帳に番地のない家は不明となっている。明治元年と記されている江戸期のものは、今回調査した980件のうち、建築年代が記録されていたのは687件で、約30%の家の建築年代は不明であったということに注意しておきたい。

 

2-1 町家と長屋の定義

2-1-1 町家とは

2-1-1-1 町家の源流

町家の源流は平安時代の「店家」(『伊呂波字類抄』)である。商いははじめ、振り売り(商品をかついで声を出して売って歩く)から、立ち売り(道端に商品を並べて売る)へそして座売り(小屋がけをして商品を売る)と、徐々に定着性をもつようになる。こうして集まってきた商人たちの家を「店家」といい、これが発展して町家と呼ばれるようになる。町家の形式は、江戸時代、城下町や港町が発展するにつれ、その都市住民である町人の住宅として、日本中に広まっていった。町家は都市を構成する一要素であったことから、「町家=都市住宅」といえる。町家の定義は、「道に面して建てられている」、「隣どうし軒を接して建ち並ぶ」、「独立住宅である」の3つである。

2-1-1-2 町家の表構え

町家は町人の住宅であると同時に職空間でもあり、その表側はふつう店として利用される。したがって、町家は必然的に道(オモテ)に面して建てられなければならなかった。また、隣の家と軒を接して建っているので、両側は閉ざされ、前は道、後ろは裏庭に開いている。町家にとって、表だけがみんなに見られる面である。店に入ってくる客は、表構えを見てその家の種類や質、家の格式まで判断し、店に入るかどうか決める。町家の表構えは店の看板というだけでなく、「家」そのものを表現するものなのである。

 

 

 

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