日本財団 図書館


1-2-4-4 長屋について

長屋の身分的居住区による分類は図1-9のようになった。全体で見ると、町人居住区と足軽居住区に多いことから、ここでも長屋があまり高価な建築ではなかったことがうかがえる。

低長屋については町家と同じで町人居住区に多く残存しているという結果がみられ、高長屋については足軽居住区が町人居住区より多く建っている。しかし、これは町家と同じで7割以上が大正5年以降に建っており、これも明治以降の身分制度の崩壊が変化のもとになったと思われる。

平屋については、およそ半分近くが足軽居住区に建っており、2階建てよりも、更に、低廉な平屋の長屋が足軽居住区に建てられたと考えられる。また、足軽居住区が塀付き長屋において8割程度を占めている。これは、簡単な塀や門を配した足軽住宅の名残が長屋建築にも表れているのではないかと考えられる。主に、企業などの寮建築である。その他の分類では武士居住区が8割以上を占めており、明治以降武士居住区が公共施設や民間企業の土地になったことがうかがえる。

1-2-4-5 その他について

その他の身分的居住区による分類は図1-10のようになった。農家の建つ居住区をみると、武士居住区が3割以上の割合で一番多い。そして、武士居住区の中でも第3郭内に多いことが縮尺1/2500の都市計画図で確認できる。これは武士の没落のために、武士屋敷が更地となった後、農地としても使用されたことが考えられる。また、漁家は7割以上が水主居住区に建っているが、武家地にも2割ほど見られる。武家地に建つ漁家はお堀の脇に残っており、琵琶湖やお堀の水運にかかわった人が居住していたのではないかと考えられる。

1-2-5 城下町彦根における伝統的民家の残存状況

城下町彦根では明治、大正、昭和、そして現在の平成まで、町の至るところで建築物の建て替えが行われている。夢京橋キャッスルロードを始めとする都市開発の進んだ地区や商業地区などでは、城下町当時の面影はみられない。しかし、一歩裏通りに足を踏み入れれば、町家や足軽屋敷の建ち並んだ風景を見せてくれる。そして、その今も残る町なみの地区ごとの違いは、江戸時代の身分的居住区に起因するのである。

全体でみると残存状況は1割少々だが、地域差が激しい。江戸時代に武士居住区であった城下の中心ではなく、郊外の足軽・町人居住区に多く残っている。

身分的居住区でみても、町人居住区、足軽居住区の残存率が高く、明治に入ってからの身分制度崩壊の影響が、身分ごとにどの程度反映しているかがこのデータからもうかがえる。

身分的居住区と建築種別のつながりをみていくと、50石以上の武士の住んでいた武士居住区には、明治期の武士の没落ためにその土地は公共施設や民間企業の土地、また農地、更地になり、ほとんど屋敷は残っていない。今では塀や門のみ、または塀付2階建が建っていることが多い。また、大正になってからは町家・特に高町家も武士居住区に進出してきた。同じ武士でも、50石以下の足軽居住区では、今も妻入りや平入りの民家が見られ当時の風景を残している。この居住区でも高町家が大正ごろから進出、また、塀付きの長屋や町家といった、この地区独特の建築も見られる。

建物が道路全面まで押しならんだ町人居住区では、身分制度崩壊の影響をあまり受けなかった町人たちの町家が明治以降も建てられた。また、明治以降、町家が武家地に建つことはあったが、逆に、町人居住区に塀付平屋が建つことはほとんどなかった。水主居住区についても、建築物と身分的居住区の一致が今でも見られる。

以上をふまえると、明治の身分制度の崩壊の影響をあまり受けなかった町人居住区、足軽居住区では居住区と建築種別の関係が崩れなかったため、今もそれぞれの町の面影を持った風景が見られる。また、それが城下町としての彦根らしさを形作っているのではないかと考えられる。

 

1-3 各年代による歴史的民家の変遷

1-3-1 建築種別でみた経年変化

1-3-1-1 建築種別全体でみた経年変化

図1-11は、家屋台帳により建築年代のわかった民家688軒についての、建築種別による年代別の戸数を示したものである。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION