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第2章 日本企業の国際活動とグローバリゼーション

岡本 真佐子

 

「グローバリゼーション」とはいったい何か。日本の文化や社会は「グローバリゼーション」と呼ばれる状況の中で具体的にどのように変化してきているのか。

今回の調査では日本企業を対象に、その海外展開の経緯を詳しく追うことで、企業活動において「組織」「製品の開発や生産・販売」「企業イメージや日本イメージ」といったさまざまなレベルの動きがどのように相互に絡み合いながら具体的に国際展開が進んでいるのかを理解しようとしている。

中間報告では、フランスを中心とするヨーロッパ市場にプレステージブランドの化粧品メーカーとして受け入れられた「株式会社 資生堂」と、アジア市場でトレンドの牽引車として売上を伸ばしている「サントリー株式会社」を例にとりあげて、その国際事業活動の経緯を追い、グローバリゼーションという現象の一面を考えたい。

 

第1部 サントリーの国内、海外の事業展開の経緯を通して見る「グローバリゼーション」

 

国際活動の内容は大きく分けて 1]原材料の買い付け 2]生産設備をもつ生産・営業活動 3]商社的機能 4]レストラン事業 があるが、ここでは主に生産・営業・販売活動を中心に国際事業展開を見ていく。

 

1. 展開の経緯と概要

 

サントリーは1931年にすでに満州、韓国、東南アジアヘ向けて商品を輸出しており、1962年にはメキシコにサントリー・デ・メヒコを設立し、海外進出を図っている。しかしこういった動きはなんらかの全体的な国際戦略に基づく動きではなかった。1970年代末までの国際活動は日本のウイスキーを売る「市場」を海外に求めるという方針であり、これは国内事情、国際事情双方の事情でほとんどうまくいかなかった。国内的には70年代をとおして日本でウイスキーをはじめとする洋酒が大変に好調で、生産能力としても営業能力としても海外に目を向けている余裕がなかったのである。また海外の欧米市場では「ウイスキーはスコッチ」という受けとめと同時に「日本の商品」に対する不信もあって、ほとんど食い込むことができず、アジア市場はといえばウイスキーなどを消費するという生活レベルに達しておらず、市場としての可能性はまだ低かった。

70年代を通して売上数字としては上昇を続けていたとはいうものの、日本市場の動き、とくに消費者の嗜好の変化は確実に進んでおり、1970年以来驚異的な販売数の伸びを記録してきたウイスキー「サントリーオールド」も、1980年をピークにして販売が減少に転じている。1978年ごろにはサントリーに入社してくる若者でも、「オールドをボトルキープして飲んでいるのが普通」というほど若者層にもかつての「贅沢品」の消費 が広がっており、同時にこの時期松下電器が行った調査では、「ニューファミリーや若い世代は、エスタブリッシュされたブランドに対してかなり強い反発を示す」という結果が出ている。

 

 

 

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