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1998年(平成10年)

平成10年門審第35号
    件名
作業船(船名なし)転覆事件

    事件区分
転覆事件
    言渡年月日
平成10年11月6日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

伊藤實、吉川進、岩渕三穂
    理事官
根岸秀幸

    受審人
A 職名:作業船(船名なし)船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
船外機が海中に脱落右舷後部外板及び船底に亀裂、のち廃船

    原因
うねりや風波の危険性に対する配慮不十分

    主文
本件転覆は、荒天下、うねりや風波の危険性に対する配慮が不十分で、発航を取り止めず、大きなうねりを受けて復原力を失ったことによって発生したものである。
船舶管理責任者が、船幅が小さく喫水の浅い小型の船舶を使用させたことは、本件発生の原因となる。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年12月11日18時56分
山口県粟野港
2 船舶の要目
船種船名 作業船(船名なし)
総トン数 0.85トン
全長 5.50メートル
幅 1.49メートル
深さ 0.55メートル
機関の種類 電気点火機関
出力 11キロワット
3 事実の経過
作業船(船名なし)(以下「作業船」という。)は、台船第十二大海号(以下「大海号」という。)に搭載された、無動力のFRP製作業船で、臨時に船外機を付け、山口県粟野港に錨泊中の大海号の見回り目的で、A受審人が1人で乗り組み、作業員2人を乗せ、船首0.1メートル船尾0.2メートルの喫水をもって、平成9年12月11日18時50分同港の渡船桟橋を発して、大海号に向かった。
ところで、粟野港は、山口県北西部の西方に開いだ油谷湾の南側に位置し、同湾に注ぐ粟野川の河口にあって、河口北側の岬の対岸にあたる南岸が船舶の係留岸壁として利用され、同港にはこの岬の東側の粟野口埼から東方へ向けて串山防波堤が、同防波堤の北側で同埼の北東端から北東方へ向けてB防波堤が築造され、両防波堤の東端にはいずれも仮設灯柱が設置されており、また、B防波堤の東方には長さ約200メートルのA防波堤が南東側へ向けて築造されていて、その北西端に粟野港沖防波堤灯台(以下「防波堤灯台」という。)が設置されており、A防波堤と南側の陸岸とのほぼ中間に石積みの魚礁が設置されていて、水深が浅くなっていた。同港に出入航する船舶は、A防波堤とB防波堤間の北西方に開口した、幅約120メートルの防波堤入口を通航していたが、冬季の季節風が強く吹くときなどには、外海から北寄りの高いうねりや風波がまともに同入口から港内に侵入していた。
大海号は、長さ52.5メートル、幅19.0メートル、深さ3.0メートルの非自航の台船で、上甲板の船首部に旋回式クレーン1基を備え、後部に居住区などのある2層の構造物を有し、同構造物の甲板下がタンクで、その前部の右舷側に機械室、左舷側に倉庫室が配置されており、同構造物の2層目の甲板に作業船が搭載されていたが、同月8日豊北町島戸漁港での魚礁設置作業を終え、大型の引船で粟野港港外まで曳(えい)航されたのち、A受審人が船長職を執っている引船第十二大海丸(以下「大海丸」という。)により、同日午後同港A防波堤と魚礁との間の水域に引き込まれ、同受審人の作業指揮の下で、2人の作業員により、台船の船首及び船尾の左右舷から短鎖と直径28ミリメートルのワイヤロープの付いた、,重量約2トンの錨4個が投じられ、これを各約100メートル延ばし、沖防波堤灯台から玉30度(真方位、以下同し)170メートルの地点で、船首を東に向けて4点で錨泊していた。
大海丸は、長さ11.99メートル、幅4.10メートル、深さ1.88メートルで、総トン数14トンの588キロワットの主機1基を備えた鋼製引船兼作業船で、後部に曳航用フックを持ち、専ら、大海号と陸上との交通船や同号の引船などとして使用されていた。
作業船は、大海号が錨泊したのち、同号から降ろされ、大海丸に横抱き引航されて係留岸壁である渡船桟橋に運ばれ、大海丸の東隣りに係留されていたが、その構造は小型の和船で、船首から後方にかけて、1.48メートルまでが船首物入庫、その後方1.45メートルまでが前部凹甲板、その後方0.60メートルまでが左右に仕切られた中央物入庫、その後方1.37メートルまでが後部凹甲板、その後方0.60メートルまでが船尾物入庫となっており、各物入庫の上部にそれぞれ蓋(ふた)付きの出し入れ口が備えられ、後部凹甲板のほぼ中央の船体中央線上に底栓で塞がれた水抜きの穴があり、船尾に船外機取り付け用の厚さ0.08メートルの木製台板が鉄板とボルトで固定され、船首物入庫上に係船用止具が設けられて直径8ミリメートルのロープが固縛されていた。また、同船は、昭和63年まで船舶安全法に基づく船舶検査を受験していたが、その後同検査を受けておらず、当時、櫓かい、錨、航海器具、灯火設備など何もなく、専用の船外機も備えられていなかった。
株式会社Cは、昭和27年9月1日山口県下関市にE有限会社として創立し、31年7月1日本店を同県豊浦郡豊北町に移転したのち、平成5年5月22日株式会社C(以下「(株)C」という。)に社名を変更したうえ、組織として、代表取締役を頂点として専務取締役を置き、その下に横並びで事務部、下関営業所、土木部及び港湾開発部を置き、事業として土木建設、水道施設、舗装、造園、しゅんせつ工事、船舶賃貸等を定款として主に行っていたが、平成7年から海上土木工事を広く行うことになり、大海号及び大海丸をD株式会社から購入し、その際、海上土木工事のない期間においては、D株式会社に賃貸して使用させることとしていた。しかし、(株)Cには海上作業に慣れた船員がいなかったことから、工事期間中、D株式会社の社員であるクレーン士を大海号に乗せ、A受審人を大海丸の船長として乗船させて海上作業の指揮に当たらせ、当時、大海号及び大海丸の2隻とも船舶所有者の名義が書き換えられていなかったものの、(株)Cが実質的な船舶所有者であった。また、(株)Cでは、B指定海難関係人を安全管理者に指定し、作業の安全を図るため、安全管理組織、安全管理事項、危険防止措置事項及び緊急時の体制などを記載した安全対策実施要領を定め、同要領には気象情報、特に注意報に留意し、風速毎秒10メートル以上、波高0.7メートル以上のときは作業を中止するなどの事項が記載されていたが、当時その趣旨が社内に周知徹底されていなかった。
B指定海難関係人は、(株)Cの所有する船舶の管理を統括する船舶管理責任者及び作業責任者としての職務を執り、大海号を次の工事予定の萩市見島漁港までの曳航に備え、平成9年12月8日、A受審人に指示して同号を粟野港に荒天避泊させていたところ、越えて11日16時30分ごろ豊北町漁業協同粗合粟野支所から、大海号が走錨して魚礁に底触しているのではないかとの連絡を受けたので、陸岸から見ただけではその状況がよく分からず、急遽(きょ)、同号の状況を船で見に行かせることとした。
現場地域では、3日前から荒天が続いて海上がしけており、小型で船幅が小さく喫水の浅い作業船を出航させることは危険な状態であったが、B指定海難関係人は、うねりや風波の危険性に対する配慮が不十分で、魚礁付近の水深が浅いことから、見回りには喫水の浅い小型船が良いものと思い、作業員に命じて会社の倉庫から予備の船外機を運ばせてこれを作業船の船尾に取り付け、船舶安全法に基づく船舶検査を受けていない同船を航行の用に供してはならないことに留意しないまま、17時00分萩市の自宅で待機中のA受審人に急いで作業船に乗船して見回りに行くように電話で指示した。
これを受けてA受審人は、自動車で粟野港に駆け付け、港内の状況を一瞥したところ、暗闇で海象などの状況を十分観察できなかったものの、当時、荒天が続き風雪波浪注意報が発表されていて、海上がしけていたことを知っており、大海号が走錨しているとの情報から、大きいうねりや風波力防波堤入口から侵入していることを判断できる状況で、かつ、船舶検査を受けていない船舶を航行に使用してはならないことも知っており、船幅が約1.5メートルで小さく喫水の浅い小型の作業船で、うねりや風波の高まった水域に向けて航行すると、うねりなどを受けて転覆する危険性があったが、既に、作業船に船外機が取り付けられて出航準備ができていたので、小型の作業船でも何とか大海号までたどり着けるものと思い、安全運航を配慮してB指定海難関係人に作業船を使用することの危険性を説明し、代りに安定性のある大海丸を使用することを申し出ることも、作業船の発航を中止することもなく、作業員2人とともに救命胴衣を着用して作業船に乗り組んだ。
こうしてA受審人は、作業員の1人を前部凹甲板に、他の作業員を後部凹甲板に座らせ、自らは船尾物入庫の右側に腰掛けて左手で船外機の操縦ハンドルを持ち、無灯火で、海沿桟橋を発航したのち、粟野川の河口中央部を東行し、18時53分少し過ぎ沖防波堤灯台から187度320メートルの地点に達したとき、同港南岸の岸壁からB指定海難関係人が自動車のヘッドライトで照射している大海号を認めて、針路を同号に向く030度に定め、3.0ノットの対地速力で進行した。
18時55分半A受審人は、大海号の手前約30メートルの地点に至ったとき、北西方の防波堤入口から侵入してきた、高さ約2.0メートルの大きなうねりを認め、操縦ハンドルを左舵一杯にとって船首をうねりに直角に向く315度に向けて、これを乗り切ろうとしたが、大量の海水が船内に入って水船となり、船外機が停止して操縦ができなくなって船首が右方に振られたところに、続けてきた大きなうねりを左舷側に受け、18時56分沖防波堤灯台から150度150メートルの地点において、一瞬のうちに復原力を喪失して船体が右舷側に転覆した。
当時、天候は曇で風力5の西北西風が吹き、潮候は上げ潮の末期で、波高2.0メートルの北西のうねりがあり、下関地方気象台から同月10日17時10分波浪注意報が発表され、以後継続し、翌11日17時10分風雪波浪注意報に切り替えられていた。
その結果、A受審人を含む乗船者全員が海中に投げ出されたが、転覆した作業船の船底につかまり、風下に圧流されて19時10分ごろ同港の南岸に全員無事に漂着したが、作業船は、船外機が海中に脱落し、船体は陸岸に打ち寄せられた際に右舷後部外板及び船底に亀裂などの損傷を生じたため、廃船とされた。
なお、大海号の走錨はなかった。

(原因)
本杵転覆は、夜間、荒天下の山口県粟野港において、防波堤入口から侵入するうねりや風波の危険性に対する配慮げ不十分で、発航を中止せず、うねりや風波の高まった水域に向けて進行し、大きなうねりを受け、復原力を失ったことによって発生したものである。
船舶管理責任者が、船舶検査を受けていない、船幅が小さく喫水の浅い小型の作業船を使用させたことは、本件発生の原因となる。

(受審人等の所為)
A受審人は、夜間、荒天下の粟野港において、港内に錨泊中の大海号を見回るため、船舶管理責任者から船舶検査を受けていない、船幅が小さく喫水の浅い小型の作業船を使用するように指示された場合、防波堤入口から侵入するうねりや風波の高まった水域に向けて航行すると、うねりなどを受けて転覆する危険性があったから、安全運航を配慮して代りに安定性のある引船を使用することを申し出るとともに、作業船の発航を中止すべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、作業船でも何とか行けるものと思い、船舶検査を受けていない同船に乗船して発航し、防波堤入口から侵入するうねりや風波の高まった水域に向けて進行して大きいうねりを受け、復原力を失って転覆を招き、船外機が脱落して作業船の右舷後部外板及び船底に亀裂を生じさせて廃船するに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B指定海難関係人が、株式会社ヒロの船舶管理責任者として、夜間、荒天下で、防波堤入口から侵入するうねりや風波の高まった粟野港において、錨泊中の大海号の見回りに行かせるため、うねりや風波の危険性に対する配慮を十分に行わないまま、船舶検査を受けていない、船幅が小さく喫水の浅い小型の作業船を使用させたことは、本件発生の原因となる。しかしながら、事故後、安全対策実施要領を徹底するように改善した点に徴し、勧告しない。

よって主文のとおり裁決する。






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