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1998年(平成10年)

平成10年仙審第12号
    件名
貨物船第三進和丸貨物船ウーヤンクローバー衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年10月21日

    審判庁区分
地方海難審判庁
仙台地方海難審判庁

高橋昭雄、供田仁男、今泉豊光
    理事官
上中拓治

    受審人
A 職名:第三進和丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:第三進和丸一等航海士 海技免状:四級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
進和丸…左舷船首部ブルワークを損傷、左舷船尾ボート甲板を曲損
ウ号…右舷船首外板に亀裂を伴う凹損、右舷船尾外板に凹損

    原因
ウ号…海交法の航法(避航動作)不遵守(主因)
進和丸…動静監視不十分、警告信号不履行、海交法の航法(航路、協力動作)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、ウーヤンクローバーが、来島海峡の中水道を南流時に逆航したばかりか、速やかにできる限り四国側に近寄って航行せず、航路を航行中の第三進和丸の進路を避けなかったことによって発生したが、第三進丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年8月9日02時07分
瀬戸内海来島海峡
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第三進和丸 貨物船ウーヤンクローバー
総トン数 402トン 2,415トン(国際トン数)
全長 71.44メートル 94.50メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 882キロワット 1,691キロワット
3 事実の経過
第三進和丸(以下「進和丸」という。)は、船尾船橋型鋼製貨物船で、A及びB両受審人ほか2人が乗り組み、空倉のまま、船首0.8メートル船尾3.0メートルの喫水をもって、平成8年8月8日17時00分福岡県苅田港を発し、香川県直島港に向かった。
ところで、A受審人は、1箇月前に乗船してきたばかりのB受審人とは初めて乗り合わせたことから、同人に一等航海士として単独で船橋当直を行わせることにつき、3度の来島海峡航路通航の折に同人による単独操舵船を試みた。その結果、船橋当直をこれまでどおりの単独6時間交替の2直制で行うことにした。
こうして、同日23時30分A受審人は、釣島水道の手前で昇橋してきたB受審人に船橋当直を引き継いだ際、同人の当直中に来島海峡航路を通航することが予測されたので、操船指揮を執って同航路を通航するつもりであったが、同航路に近付けば当直者が当然にそのことを知らせてくるものと思い、危ない所に行ったら知らせるように告げただけで、船長として自らが操船指揮して同航路を通航すべく具体的な昇橋地点を指示することなく、翌9日00時ごろ睦月島付近で自室に退いて休息した。
その後、B受審人は、そのまま進行すると来島海峡航路に入って中水道を通航することになることから、できる限り大下島及び大島に近寄って同航路内を航行するつもりで、01時44分少し過ぎ来島海峡航路西口の北端付近に達した。しかし、船長からの指示を危ないと思ったら知らせることと解していたので、自ら単独操船して同航路を通航しようと思い、A受審人に来島海峡航路に達したことを報告しないまま単独で当直を続けた。
01時50分半B受審人は、桴磯灯標から017度(真方位、以下同じ。)1.3海里の地点で、針路を航路に沿う122度に定め、機関を全速力前進にかけ折からの潮流に乗じて11.0ノットの対地速力(以下速力は対地速力である。)で、同航路左側端に寄って先航する数隻の同航船に従って自動操舵により進行した。
02時04分少し前B受審人は、小島東灯標から358度1海里の地点で、右舷船首11度1.2海里のところにウーヤンクローバー(以下「ウ号」という。)の白、白、紅3灯を初めて認めたとき、同船が大島側に近寄りその動静を予測することができず、互いに転針予定の航路屈曲部に近付く状況であったが、同船が自船の右舷船首8度1海里のところを先航する南下船と左舷を対して航過したのを認め、自船とも左舷を対して航過することができるものと思い、その後の動静監視を十分に行わないまま続航した。
こうして、02時05分少し前B受審人は、ほぼ正船首1,480メートルのところに左転したばかりのウ号の白、白、紅、緑4灯を認めることができ、その後その方位にほとんど変化なく衝突するおそれがある態勢で接近していたが、引き続き同船の動静監視を十分に行わなかったので、これに気付かず、警告信号を行わないまま、その後接近しても機関を全速力後進にかけて行きあしを止めるなどの衝突を避けるための措置をとらずに進行した。
02時06分B受審人は、ほぼ正船首680メートルに迫ったウ号の白、白、紅、緑4灯に気付き、急いで同船を左舷側に替わそうとして右舵をとったものの、更に同船の白、白、緑3灯を認めるようになって衝突の危険を感じ、操舵を手動に切り替えて右舵一杯としたが及ばず、02時07分小島東灯標から035度1,400メートルの地点において、進和丸は、船首が152度を向いたとき、原速力のまま、その船首がウ号の右舷船首外板に後方から80度の衝突した。
当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の中央期にあたり、中水道には約1ノットの南流があった。
A受審人は、衝突の衝撃で目覚め、急いで昇橋して事後の措置にあたった。また、ウ号は、船尾船橋型鋼製貨物船で、船長C、二等航海士D及び甲板長Eほか7人が乗り組み、空倉のまま、船首1.8メートル船尾3.9メートルの喫水をもって、同月8日16時00分大阪港堺泉北区を発し、大韓民国ワンヤン港に向かった。
C船長は、船橋当直を4時間交代の3直制を採り、D二等航海士及びE甲板長に0時から4時まで及び一等航海士に4時から8時までの当直を行わせ、自らが8時から0時までの当直及び狭水道通航時などの難所での甲板指揮を執ることにした。なお、D二等航海士が実務経験がほとんどなかったので、本邦船岸及び瀬戸内海の航行経験が豊かなE甲板長に、二等航海士の当直実技措導を行わせるようにしていた。
こうして、C船長は、出航後いったん一等航海士に当直を委ねたのち、19時30分備讃瀬戸東航路入口から船橋当直に就き、23時30分備後灘航路第1号灯浮標付近で、D二等航海士及びE甲板長と当直を交替した。その際、E甲板長らの当直中に来島海峡航路を通航することになることから、自ら昇橋して操船指揮を執るつもりで、来島海峡航路第7号灯浮標に達したならば知らせるように指示したが、独断で通峡することのないよう厳命しないまま自室に退いて休息した。
その後、E甲板長は、D二等航海士に当直業務を適宜説明しながら操舵操船にあたり、備後灘航路の各灯浮標を左舷側至近に航過して来島海峡に向かった。翌9日01時48分竜神島灯台から148度1,400メートルの地点で、来島海峡航路第7号灯浮標を右舷側に航過して来島海峡航路に入航したが、船長が当直を交替したばかりなので疲れているし、自らは同航路通航の経験も多いので、船長の昇橋を求めずに通峡することができるものと思い、来島海峡航路に達したことを報告せず、右舷正横付近に来島長瀬ノ鼻潮流信号所の電光表示を認めて中水道の潮流が南流1ノットであることを知り、西水道を通航するつもりで西行した。
ところが、E甲板長は、海上交通安全法の来島海峡航路における航法を十分に理解していなかったので、できる限り四国側に近寄って西行せず、01時58分ナガセ鼻灯台から115度920メートルの航路の屈曲部付近に至り西水道に向けようとしたとき、右舷前方に認めた中渡島の黒い島影を挟んでその東側の水路を中水道及び西側の水路を西水道と勘違いしたが、このことに気付かず、速やかに大角度の左転をして西水道に向けずに針路を000度に定め、機関を全速力前進にかけ、逆潮流に抗して13.0ノットの速力で手動操舵により中水道を北上した。
E甲板長は、北上を続けるうちに左舷船首方から反航船が順次自船に向けて接近し、至近で左舷を対して同水道を南下してゆくことに疑問を感じ、やがて自船が中水道を逆航しているのではないかという不安を抱くようになり、その後反航船となんとかして無難に航過することに気を取られて船長にその旨を知らせることに思い至らないまま、反航船の進路を避けようとして来島海峡航路第5号灯浮標の点滅緑灯を船首目標にしてできるだけ同水道の東端に寄せて北上を続けた。
02時04分少し前E甲板長は、小島東灯標から078度1,520メートルの地点で、左舷船首47度1.2海里のところに進和丸の白、白、緑3灯を始めて認めたが、依然として海上交通安全法の来島海峡航路における航法を理解できなかったので、同航法を順守して速やかにできる限り航路内の四国側に近寄って航行することなく、引き続き接近してくる反航船と無難に航過することに気をとられたまま同じ針路で進行した。
こうして、E申板長は、操船に余裕のない状態で操舵中、間もなく二等航海士から次の針路が300度であることを告げられ、来航する反航船を辛うじて左舷側至近に替わしながらその合間を縫って、02時05分少し前小島東灯標から062度1,650メートルの地点に至ってようやく左転を始めようとしたとき、予定どおり転針すると進和丸と衝突するおそれがある態勢で接近する状況となるが、早く次の針路に転じることに気をとられて同状況に気が及ばず、そのまま北上を続けるなどして同船の進路を避けずに針路を300度に転じた。
こうして、E甲板長は、ほぼ正船首1,480メートルに進和丸の白、白、紅、緑4灯を認めるようになり、その後同船と衝突するおそれがある態勢で続航した。同時06分進和丸が船首わずか右約680メートルに迫ったとき、その緑灯がより明瞭に見えたので、同船と右舷を対して航過しようとして左舵10度をとり、間もなく同緑灯のみを認めるようになったところで舵を中央に戻したが、再び同船の紅、緑両灯に続いて紅灯のみを認めるようになり、衝突の危険を感じて左舵一杯としたが及ばず、ウ号は、232度を向いたとき、原速力で前示のとおり衝突した。
衝突の結果、進和丸は左舷船首部ブルワークを損傷及び左舷船尾ボート甲板を曲損し、ウ号は右舷船首外板に亀裂を伴う凹損及び右舷船尾外板に凹損を生じた。

(原因)
本件衝突は、夜間、両船が来島海峡航路を南流時に航行する際、西行するウ号が、中水道を逆航したばかりか、速やかにできる限り四国側に近寄って航行せず、航路を航行中の進和丸の進路を避けなかったことによって発生したが、進和丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったこともその一因をなすものである。
進和丸の運航が適切でなかったのは、船長の船僑当直者に対する来島海峡航路通航についての報告の指示が十分でなかったことと、船橋当直者の来島海峡航路に達したことの報告が行われなかったこと及び動静監視が十分に行われなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
A受審人は、夜間、部下の当直中に来島海峡航路を南流時に通航することが予測された場合、船長として自らが操船指揮して同航路を通航すべく具体的な昇橋地点を指示すべき注意義務があった。しかし、同人は、船橋当直者が当然同海峡に近付いたことを知らせてくるものと思い、船長として自らが操船指揮して同航路を通航すべく具体的な昇橋地点を指示しなかった職務上の過失により、船橋当直者から来島海峡航路に達したことの報告を得られず、自ら操船指揮を執ることができずに衝突を招き、進和丸の左舷船首部ブルワーク及び左舷船尾ボート甲板を損傷させ、ウ号の右舷船首外板に亀裂を伴う凹損及び右舷船尾外板に凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、夜間、来島海峡を南流時に航路に沿って東行中、中水道を逆航後北上中のウ号の白、白、紅3灯を認めた際、同船の進路を予測することができなかった場合、間もなく互いに転針予定の航路の屈曲部に近付く状況であったから、同船と衝突するおそれがあるかどうか判断できるよう、その動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、ウ号が先航船と左舷を対して替わるのを見て、自船とも左舷を対して航過するものと思い、同船の動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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