日本財団 図書館




1998年(平成10年)

平成10年神審第23号
    件名
貨物船日菱丸貨物船文祥丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年10月20日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

工藤民雄、山本哲也、清重隆彦
    理事官
中谷啓二

    受審人
A 職名:日菱丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:文祥丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
日菱丸…球状船首部に凹損
文祥丸…右舷船首部外板に亀裂を伴う凹損

    原因
文洋丸…灯火・形象物不表示(無灯火状態)、動静監視不十分、船員の常務(前路進出)不遵守

    主文
本件衝突は、文祥丸が、無灯火状態で航行したばかりか、動静監視不十分で、日菱丸の前路に進出したことによって発生したものである。
受審人Bの三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成7年10月31日20時22分
高知県須崎港
2 船舶の要目
船種船名 貨物船日菱丸 貨物船文祥丸
総トン数 2,698トン 468トン
全長 95.52メートル 76.696メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 2,427キロワット 1,029キロワット
3 事実の経過
日菱丸は、専ら高知県須崎港と京浜港間で石灰石の輸送に従事する船尾船橋型の石灰石運搬船で、A受審人ほか9人が乗り組み、空倉のまま、船首0.7メートル船尾3.7メートルの喫水をもって、平成7年10月30日13時25分京浜港横浜区を発し、須崎港に向かった。

翌31日19時ごろA受審人は、須崎湾南方の一子碆(いっしばえ)灯標の東南東方沖合で、操舵手とともに船橋当直に就き、所定の灯火が点灯していることを確認し、うねりのため桟橋での荷役が困難であるとの連絡を受けていたので、須崎港奥の大峰地区付近で投錨仮泊するつもりで須崎湾に向け北上した。
A受審人は、19時57分一子碆灯標を右舷側に通過したとき、いつものように入港配置を令し、船首に一等航海士ほか2人を配置し、機関長を主機遠隔操作に、操舵手を手動操舵にそれぞれ就け、自らは船橋前部中央の左舷寄りで操船の指輝に当たり機関を港内全速力にかけ、11.7ノットの対地速力で、船橋前部両舷に取り付けられている甲板を照らす200ワットの作業灯各1個を点灯して進行した。
ところで、須崎港は、南北に細長い須崎湾の北部にあり、東側のコーギノ鼻と西側の角谷岬間を港口とし、コーギノ鼻の北西方1,250メートルのところで西方に突き出た山崎鼻から港奥に至る水路が狭まって北東方に屈曲しながら逆S字形に延びていた。また、山崎鼻の北西方約160メートルのところにウカ碆の岩礁があって、山崎鼻灯台に付設された山崎鼻ウカ碆照射灯で照射され、さらに同鼻の距岸100メートル以内には岩礁が散在しており、入航船は同鼻西方で大きく右転して港奥に、出航船は左転して港奥から港外にそれぞれ向かう状況であった。
20時09分半少し過ぎA受審人は、山崎鼻灯台から186度(真方位、以下同じ。)1,6海里の地点に達したとき、レーダーを見て針路を山崎鼻を250メートル離す000度に定め、視界が極めて良かったので間もなくレーダーをスタンバイ状態に切り換え、その後同時14分半須碕港界に至ったところで、機関を半速力に減じ、5.0ノットの対地速力で続航した。
そして、A受審人は、20時19分山崎鼻灯台から211度580メートルの地点に達したとき、山崎鼻の陰から現れた文祥丸が右舷船首12度760メートルに存在し、その後同船が水路の屈曲部付近で徐々に左転し、自船の前路に向け進出するようになったが、文祥丸が何らの灯火も点灯していなかったので、その存在も同船が左転していることも認めることができないまま進行した。
20時21分A受審人は、ほぼ正船首320メートルに、点滅する白色灯を視認し、これが無灯火状態で航行中の文祥丸の発したものであったが、同点滅灯を陸上の灯火かあるいは小型の漁船のものかと思い、このころ水路屈曲部の転針地点付近に達していたことでもあり、念のため右転することとし、同時21分少し過ぎ右舵一杯をとり、次いで機関を停止して右転を開始した。
A受審人は、20時21分半自船の作業灯に照らし出された文祥丸の船首部を船首方至近に初めて認め、衝突の危険を感じ、機関を全速力後進としたが及ばず、20時22分山崎鼻灯台から277度280メートルの地点において、日菱丸は、035度に向首したその船首が、約4.0ノットの速力で、文祥丸の右舷船首部に前方から60度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力2の北風が吹き、潮候は上げ潮の中央期であった。
また、文祥丸は、鋼材などの輸送に従事する船尾船橋型の貨物船で、B受審人ほか4人が乗り組み、空倉のまま、船首1.8メートル船尾3.4メートルの喫水をもって、同日19時50分須崎港奥、大峰地区の大阪セメント株式会社の専用桟橋を発し、関門港に向かった。
発航に際し、B受審人は、甲板上を照らす作業灯3個を点灯したものの、揚荷後の倉内清掃の終了と同時に、自船のあとに着岸予定の他船を気にしながら離岸を急ぐあまり、航海灯の表示の確認を行わないまま、同灯火を点灯し忘れたことに気付かず、船首に一等航海士と甲板長を、また船尾に機関長ほか1人をそれぞれ配置して離岸作業に取り掛かった。
離岸後、B受審人は、舵輪の後方に立ち1人で見張りを兼ねて手動操舵に当たり、機関と舵を使って回頭したのち、機関を微速力前進にかけ、3.0ノットの対地速力で、1海里レンジとしたレーダーを時々見ながら須崎港内の水路を南下し、20時07分ごろ作業灯を消灯したものの、航海灯が点灯されていないことに依然気付かないまま進行した。
20時11分B受審人は、山崎鼻灯台から040度720メートルの地点で、針路を242度に定め、水路の中央より少し右側を同一速力で続航したところ、同時19分山崎鼻灯台から327度280メートルの地点に達したとき、左舷船首50度760メートルのところに、山崎鼻の陰から現れた日菱丸の表示した灯火のうち作業灯2個のみを初認した。
その際、同人は、一瞥(いちべつ)して日菱丸を錨泊船と思い込み、山崎鼻付近に達していたことから、港外に向けて左転してもこれを右舷側に替わせるものと思い、双眼鏡を使用して表示する灯火を確かめるなど、動静監視を行わなかったので、日菱丸が白、白、緑3灯を表示して北上してくる船舶であることも、そのまま進行すれば同船の方位が左方に変わり、その船首方近距離のところを替わる状況にあることにも気付かなかった。
そして、20時20分少し過ぎB受審人は、山崎鼻灯台から308度300メートルの地点に達し、日菱丸が左舷船首56度500メートルに接近したとき、左舵5度ほどをとり、徐々に左転を開始し、同船の前路に進出する状況となった。
間もなく、出港配置を終えて昇僑した甲板長は、操舵室前部で見張りに当たっていたところ、北上してくる日菱丸が左舷船首方近距離に接近したので、注意を喚起するつもりで携帯用信号灯の点滅を繰り返したものの、同船がその後右転しながら急速に迫ってくるので不審を感じ、右舷側ウイングに出て右舷灯を見たところ、自船の航海灯が点灯されていないことに気付き、船長に「航海灯がついていない。」と告げた。
B受審人は、甲板長からの報告を受け、初めて航海灯をつけ忘れたことを知ったものの、すでに対処し得る余裕がなく、衝突の危険を感じ、20時22分少し前急ぎ機関を全速力後進としたが及ばず、文祥丸は、155度を向首し、約2ノットの速力で前示のとおり衝突した。
衝突の結果、日菱丸は球状船首部に凹損を、また文祥丸は右舷船首部外板に亀裂を伴う凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、須崎港の屈曲した水路において、港奥から出航する文祥丸が、無灯火状態で航行したばかりか、動静監視不十分で、港奥に向けて入航する日菱丸の前路に進出したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
B受審人は、夜間、須崎港の屈曲した水路を出航中、山崎鼻付近の水路屈曲部で入航する日菱丸の作業灯のみを左舷船首方に視認した場合、衝突のおそれの有無を判断できるよう、双眼鏡を使用して表示する灯火を確かめるなど、動静監視を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同人は、一瞥して日菱丸を錨泊船と思い込み、山崎鼻の水路屈曲部付近に達していたことから、左転しても同船を右舷側に替わせるものと思い、双眼鏡を使用して表示する灯火を確かめるなど、動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、左転して日菱丸の前路に進出し、同船との衝突を招き、文洋丸の右舷船首部外板に亀裂を伴う凹損及び日菱丸の球状船首部に凹損をそれぞれ生じさせるに至った。

以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法5条第1項第2号を適用して同人の三級海技士の業務1箇月停止する。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION