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1998年(平成10年)

平成9年神審第51号
    件名
貨物船妙宝丸漁船住吉丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年11月25日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

佐和明、清重隆彦、西林眞
    理事官
竹内伸二

    受審人
A 職名:妙宝丸船長 海技免状:五級海技士(航海)(履歴限定)
B 職名:住吉丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
妙宝丸…船船首部に軽い凹傷
住吉丸…右舷側中央部に破口を生じて水船、船長が右肩に打撲傷

    原因
妙宝丸、住吉丸…狭視界時の航法方(信号、速力)不遵守

    主文
本件衝突は、妙宝丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことと、住吉丸が視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年2月14日09時10分
播磨灘東部
2 船舶の要目
船種船名 貨物船妙宝丸 漁船住吉丸
総トン数 199トン 4.8トン
全長 55,70メートル 14.53メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 625キロワット
漁船法馬力数 35
3 事実の経過
妙宝丸は、船尾船橋型の貨物船で、A受審人と兄の機関長とが2人で乗り組み、鋼材603トンを載せ、船首2.60メートル船尾3.60メートルの喫水をもって、平成8年2月14日03時50分岡山県水島港を発し大阪港に向かった。
A受審人は、父親のCが船長として乗船していたところ病気で下船したため、五級海技士(航海)の海技免状を受有する自らが船長職を執り、機関長と2人で4時間交替の単独船橋当直に従事して備讃瀬戸を東行した。
07時15分ごろ当直交替のため播磨灘西部で昇橋したA受審人は、霧で視程が約1海里まで狭められており、運航に不安を覚えたので機関長にも引き続き在橋するよう依頼し、2人で当直を続けるうち、08時40分淡路室津港西防波堤灯台(以下「西防波堤灯台」という。)から270度(真方位、以下同じ。)4.5海里の地点に達したとき、更に霧が濃くなって視程が200ないし300メートルに狭められたので、補機を駆動して機関を半速力前進に減じ、針路を大型船の航行する播磨灘推薦航路線から右方に外して淡路島側に接近する070度に定め、7.0ノットの対地速力で進行した。
その後間もなく視程が更に狭まって約60メートルとなり、A受審人は、操舵スタンドの後方に立って手動で操舵に当たり、同スタンド左舷側の12海里レンジに設定したレーダーを船位の確認用として、その左舷側にあるもう一台のレーダーを1.5海里レンジに設定して他船の監視に用い、1.5海里レンジに設定したレーダーの前に機関長が立って同レーダーを監視しながら続航した。
08時57分ごろA受審人は、西防波堤灯台から284度2.7海里の地点に達したとき、レーダーで左舷船首12度1.2海里に一団となった住吉丸を含む3隻の漁船を一つの映像として機関長とともに探知したが、機関長が監視しているので大丈夫と思い、その後同船団と著しく接近することを避けることができない状況となるかどうか、その動静監視を十分に行わず、また、霧中信号を行うことなく進行した。
09時05分A受審人は、左舷船首45度650メートルとなった同船団が移動を始め、その後著しく接近することを避けることができない状況となったが、このことに気付かず、速やかに機関を停止して行き脚を止めることなく続航中、やがて同映像が船首輝線に接近していることを機関長から知らされ、同時07分汽笛を約3秒間吹鳴して機関を5.0ノットの微速力前進に減じ、肉眼で前方を見張りながら進行した。
09時10分少し前、A受審人は前路至近を右方に通過する漁船を視認し、これとの衝突を避けるため機関を後進にかけ、左舵一杯とした直後、左舷船首至近に住吉丸を認めたが何をする間もなく、09時10分西防波堤灯台から313度1.7海里の地点において、妙宝丸は、原針路、原速力のまま、その船首が、住吉丸の右舷中央部に、後方から60度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風はほとんどなく、視程は約60メートルで、潮候は下げ潮の初期であった。
また、住吉丸は、網船、従船及び運搬船の3隻からなる2艘船曳(そうふなびき)網漁船団に従船として所属するFRP製漁船で、B受審人が1人で乗り組み、船首0.35メートル船尾1.00メートルの喫水をもって、同日06時00分1僚船とともに淡路島育波漁港を発し、同漁港西方沖合4海里ばかりの室津ノ瀬付近に至っで操業を開始した。
B受審人は、07時30分ごろ霧模様となり、08時30分ごろから視程が急速に悪化して60メートルばかりに狭まったので、父親が船長として乗り組む同船団の網船からの指示で操業を中止することとし、同船と一緒に曳(えい)網索を巻き込み、同時55分ごろ揚網を終え、3隻が互いに接舷して漂泊しながら運搬船に漁獲物を移し、09時05分西防波堤灯台から309度2.1海里の地点を発進して帰途に就いた。
ところで、住吉丸が所属する船団では、3隻ともレーダーを装備していなかったばかりか、それぞれの全長が12メートル以上あったにもかかわらず、音響信号装置を設備しておらず、B受審人の乗る住吉丸のみがGPSプロッターを装備していた。そして、B受審人は、育波漁港や室津漁港沖合に、沿岸から約1.5海里まで西方に広がっているのり養殖漁場内に設けられた水路の、室津漁港への沖合側入口にあたる、西防波堤灯台から318度1.4海里の地点を同プロッターに入力しておき、視界制限時には、他の2隻を先導して同水路入口に向かい、水路に入ってからは両側の養殖施設の浮標群を目標に、室津漁港を経て育皮漁港に至る水路を通って帰港することにしていた。
こうして、B受審人は、GPSプロッターによって、針路を前示水路入口に向かう110度に定め、後続船が自船を見失うことのないよう、機関を回転数毎分800の微速力前進にかけ3.0ノットの対地速力で進行した。
発進時B受審人は、右舷正横より4度後方650メートルに妙宝丸が存在し、そのまま進行すれば著しく接近することを避けることができない状況であったが、レーダーを装備していないので他船の存在が分からず、また、音響信号装置を設備していなかったので、霧中信号を行って自船の存在を他船に知らせることができない状態であったにもかかわらず、他船の存在を認めたとき直ちに行き脚を止めることができる安全な速力とすることなく、船舶が輻輳(ふくそう)する播磨灘推薦航路線付近から離れており、のり養殖漁場の水路入口に近づいたので、東西に航行する船はいないものと思い、09時08分機関回転数を更に上げ始め、同時09分回転数毎分1,900とし、8.0ノットの速力で続航した。
09時10分少し前B受審人は、後続中の運搬船が急に速力を上げて自船の左舷側至近を追い越したので、自船も航海全速力まで機関回転を上げようとしたところ、右舷側至近に妙宝丸の船首を視認し、あわてて右舵一杯をとったが、船首が130度を向いたとき前示のとおり衝突した。
衝突の結果、妙宝丸は船首部に軽い凹傷を生じ、住吉丸は右舷側中央部に破口を生じて水船となったが、のちいずれも修理された。また、B受審人は右肩に打撲傷を負った。

(原因)
本件衝突は、霧のため著しく視界が制限された播磨灘東部において、妙宝丸が、霧中信号を行わず、レーダーで探知した住吉丸に対する動静監視が不十分で、漂泊中の同船が移動を開始して著しく接近することを避けることができない状況となった際、速やかに機関を使用して行き脚を止めなかったことと、レーダー及び音響信号装置を備えない住吉丸が、霧中信号を行わなかったばかりか、安全な速方で進行しなかったこととによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、霧のため著しく視界が制限された播磨灘東部を東行中、レーダーにより前路に漁船らしい映像を探知した場合、引き続きその動静を十分に監視すべき注意義務があった。しかるに、同人は、兄の機関長がレーダーの前で監視しているから大丈夫と思い、その動静を十分に監視しなかった職務上の過失により、漂泊中の住吉丸が移動を開始し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことに気付かず進行して衝突を招き、妙宝丸の船首部に軽い凹傷及び往吉丸の右舷側中央部に破口を生じさせ、また、B受審人の右肩に打撲傷を負わせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、播磨灘東部において2艘船曳網漁を操業中、霧のため視界が著しく制限され、これを中止して帰途に就く場合、自船にはレーダーばかりか霧中信号を行うための音響信号装置をも備えていなかったのであるから、他船の存在を認めたときは直ちに行き脚を止めることができる安全な速力で進行すべき注意義務があった。しかるに、同人は、船舶が輻輳する播磨灘推薦航路線から離れており、東西に航行する船はいないものと思い、GPSプロッターに入力しておいたのり養殖漁場間の水路入口に向けて徐々に増速して進行し、安全な速力で進行しなかった職務上の過失により、前示のとおり両船に損傷を生じさせ、自らも負傷するに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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