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1998年(平成10年)

平成9年広審第20号
    件名
貨物船第八天洋丸貨物船ジェイ・パイオニア衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年10月8日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

上野延之、杉崎忠志、黒岩貢
    理事官
川本豊

    受審人
A 職名:第八天洋丸船長 海技免状:五級海技士(航海)(旧就業範囲)
B 職名:第八天洋丸一等航海士 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
天洋丸…右舷中央部に破口を生じて沈没
ジ号…船首部に破口を伴う凹損

    原因
天洋丸、ジ号…狭視界時の航法(速力、レーダー)不遵守

    主文
本件衝突は、第八天洋丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことと、ジェイ・パイオニアが、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年7月3日07時01分
東京湾浦賀水道
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第八天洋丸 貨物船ジェイ・パイオニア
総トン数 198トン 4,879トン
全長 56.8メートル
登録長 103.2メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 3,353キロワット
3 事実の経過
第八天洋丸(以下「天洋丸」という。)は、専ら山口県徳山下松港と京浜港川崎区間のソーダ灰の輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、A、B両受審人ほか1人が乗り組み、ソーダ灰670.9トンを積載し、船首2.7メートル船尾3.6メートルの喫水をもって、平成8年7月1日10時47分徳山下松港を発し備讃瀬戸及び鳴門海峡経由で京浜港に向かった。
A受審人は、船橋当直を自らとB受審人及び機関長との3人で、単独3時間交替の輪番制とし、B受審人は、翌々3日06時05分劔埼灯台から214度(真方位、以下同じ。)5.2海里の地点で、船橋当直に当たっていたが、霧がかかり視程が50メートルに狭められたことから霧中信号を始めたところ、A受審人が霧中信号を聞いて昇橋した。
A受審人は、昇橋後B受審人から船橋当直を引き継ぎ、同人に操舵させ、自らレーダーを監視して操船の指揮に当たり、霧中信号を続けたものの、安全な速力に減じず、06時28分劔埼灯台から183度2.1海里の地点で、針路を050度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの南東方に流れる潮流によって1度ばかり右方に圧流されながら、10.5ノットの対地速力(以下「速力」という。)で航行中の動力船が表示する灯火を点灯して進行した。
06時43分A受審人は、劔埼灯台から103度2.0海里の地点に達したとき、レーダーで右舷船尾80度2.2海里にジェイ・パイオニア(以下「ジ号」という。)を初めて探知し、動静を監視していたところ、浦賀水道航路に向かう同航船で、徐々に接近していることを知ったが、後方から接近する船舶は自船と著しく接近することとなれば適宜対処すると思い、レーダーによる動静監視を十分に行うことなく続航した。
06時56分A受審人は、劔埼灯台から075度3.8海里の地点に達したとき、ジ号が右舷船尾77度1,100メートルに接近し、著しく接近する状況となったが、依然レーダーによる動静監視を十分に行わなかったことから、これに気付かず、減速するなどこの事態を避けるための動作をとらないで進行し、同時58分劔埼灯台から073度4.2海里の地点で、左舷船首方近距離に南下する第三船の反航船(以下「反航船」という。)を探知し、その後同船が接近してきたので短音5回の汽笛を2回吹鳴して徐々に右転するうち、07時01分少し前レーダー画面中心の右横近くにジ号の映像を認め、右舷側を見たところ右舷中央部少し前方にジ号の船首を視認し、左舵一杯を令したが及ばず、07時01分劔埼灯台から072度4.7海里の地点において、天洋丸は、075度に向首したとき、原速力のままのその右舷船体中央部にジ号の船首が後方から45度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風はほとんどなく、視程は50メートルで、潮候は下げ潮の初期で、衝突地点付近には微弱な南東流があった。
また、ジ号は、専ら大韓民国の馬山港、同国釜山港、京浜港及び名古屋港各間のコンテナ輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、船長C(以下「C船長」という。)ほか21人が乗り組み、コンテナ333個を積載し、船首5.8メートル船尾6.0メートルの喫水をもって、同月1日09時10分(現地標準時)釜山港を発し、京浜港に向かった。
ところでジ号の船橋当直は、00時から04時まで12時から16時までを二等航海士、04時から08時まで16時から20時までを一等航海士、08時から12時まで20時から24時までを三等航海士がそれぞれ担当し、各当直に甲板手1人がついて4時間の当直体制としていた。
翌々3日06時00分(日本標準時、以下同じ。)D一等航海士(以下「D一等航海士」という。)は、劔埼灯台から209度9.4海里の地点で船橋当直に当たっていたところ、霧がかかり視界が狭められたのでC船長にこのことを報告した。
C船長は、報告を受けて直ちに昇橋し、D一等航海士を操船の補佐に、甲板手E(以下「E甲板手」という。)を操舵に当たらせ、操船の指揮に当たって霧中信号を始めたものの、安全な速力に減じず、レーダーを監視しながら航行した。
06時38分C船長は、劔埼灯台から142度4.3海里の地点で、針路を018度に定め、折からの南東方に流れる潮流によって1度ばかり右方に圧流されながら、機関を全速力前進にかけ、13.6ノットの速力で航行中の動力船が表示する灯火を点灯して進行し、同時40分劔埼灯台から137度4.1海里の地点に達したとき、霧が濃くなり視程が約270メートルになったころ、レーダーにより左舷船首49度2.5海里のところに天洋丸を初めて探知し、動静を監視していたところ、浦賀水道航路に向かう同航船であったので同船の後方を追尾して航行すれば大丈夫と思い、その後レーダーによる動静監視を十分に行わないまま続航した。
06時56分C船長は、劔埼灯台から083度4.0海里の地点に達したとき、天洋丸が左舷船首45度1,100メートルに接近し、同船の霧中信号を左舷船首方に聞き、著しく接近することを避けることができない状況となったが、依然レーダーによる動静監視を十分に行わなかったことから、これに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて停止しないで進行した。
06時58分C船長は、レーダーにより左舷船首前方に反航船を探知して避けるため5度右転したところ、左舷船首47度700メートルのところで天洋丸の映像が右転しているのに気付き、その後同船の吹鳴する短音5回の汽笛を聞いたが、小角度で右転を続け、07時01分少し前左舷船首至近に迫った天洋丸を初めて視認し、機関を半速力後進としたが及ばず、ジ号は、船首が03度に向いたとき、原速力のまま前示のとおり衝突した。
衝突の結果、天洋丸は右舷中央都に破口を生じて沈没し、ジ号は船首部に破口伴う凹損を生じたが、のち修理された。天洋丸の乗組員は搭載していた伝馬船に乗り移り、通り掛かった引き船に救助された。

(原因)
本件衝突は、両船が、霧による視界制限状態の東京湾を浦賀水道航路に向けて北上中、天洋丸が、安全な速力に減じず、かつ、レーダーによる動静監視が不十分で、ジ号と著しく接近する状況となった際、減速するなどこの事態を避けるための動作をとらなかったことと、ジ号が、安全な速力に減じず、かつ、レーダーによる動静監視が不十分で、天洋丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最少限度の速力に減じず、必要に応じて停止しなかったこととによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、浦賀水道航路に向けて北上中、レーダーにより右舷後方にジ号を探知した場合、著しく接近するかどうかを判断できるよう、その動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、後方から接近する船舶は自船と著しく接近することとなれば適宜対処すると思い、レーダーによる動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、著しく接近する状況となった際、減速するなどこの事態を避けるための動作をとらないでジ号との衝突を招き、自船の右舷中央部に破口を生じさせて沈没させ、ジ号の船首部に破口を伴う凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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